本日で震災から1年が経過します。
今日は1日中自宅にこもり
震災に関するテレビを観ると決めていました。
何度も繰り返す映像と消えることのない事実
大切な人を亡くされた方々の心の叫び
復興に向けての助け合いなど。
私も込み上げてくる感情を確認しつつ
”自分”を振り返る1日でした。
”事実”に目を向け”時”を大切にする必要性を痛感し、
私に出来る事を考え行動していきます。
本日で震災から1年が経過します。
今日は1日中自宅にこもり
震災に関するテレビを観ると決めていました。
何度も繰り返す映像と消えることのない事実
大切な人を亡くされた方々の心の叫び
復興に向けての助け合いなど。
私も込み上げてくる感情を確認しつつ
”自分”を振り返る1日でした。
”事実”に目を向け”時”を大切にする必要性を痛感し、
私に出来る事を考え行動していきます。
映画「エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン」
を観に行ってきました。
1年のうち半年は新メニューの製作に打ち込み
残り半年のみレストランがオープン。
45席しかないシートに世界中から年間200万件もの
予約希望が殺到するそうです。
映画はアトリエで繰り広げられる
新しい料理の開発と研究がつぶさに撮影されています。
クリエイティブを追求する姿勢に感激した2時間でした。
今年最後の訪問が終了しました。
毎年の実感ですが、
関係する事業所職員の方々から
沢山のことを学ばせていただけた一年でした。
来年の目標は、世の中のニーズに耳を澄まし、
柔軟に対応する姿勢です。
今年1年ありがとうございました。
天気予報どおりの銀世界に突入でしたが
慎重に運転しながら田舎に帰ってきました。
おばあちゃんは温かいお布団の中でこっぽり。
圧倒的に寝ている時間が多くなりました。
それでも遠い記憶の中で私の名前を呼び起こしては
「るみちゃんかえ~」と受け答えしてくれます。
2歳になる曾孫を見ては一生懸命にあやそうとする横顔は、
私の小さいころの記憶にあるおばあちゃんです。
多くの場合、
おばあちゃんといえば小さい頃に触れ合った
記憶がメインではありませんか?
私の場合は少し違います。
小さい頃のみでなく私が成人してからも続きます。
私が名古屋や長野に勤めていたころ、
毎年のように1~2ヶ月アパートに泊まりに来てくれ
楽しい日々を過ごした記憶です。
一緒に買い物に行っては田舎料理を作ってくれ、
1年間溜まったほつれ物を繕っては世話をしてくれます。
名古屋は都会とあって日中私が勤めている間は
外出することはありませんでしたが、
長野では毎日のように近隣を散歩し神社参りを
しては近所の人との会話が弾んでいたようです。
「鳥取の田舎から孫娘のところに来とります88歳です」と。
おばあちゃんが元気で長生きしてくれたおかげで、
私に第二段の思い出を残してくれたこと、
これは珍しいことなんだと実感します。
そしてなにより、
お世話をして下さっている田舎の皆様に感謝です。
「その分少しでも社会にお返しするね」が
私とおばちゃんとの約束です。
来年1月に105歳になるおばあちゃんから
循環型介護を教えてもらいました。
仕事が終わり一路空港へ。
まぶしいほどの青い海と空を堪能しながら
宮崎空港まで送って頂き一段落。
お土産のマンゴーに目を奪われつつも
まずは搭乗手続きをしようとJALカウンターへ。
「え?」
なんと伊丹空港周辺が天候不良のため
フライトが延期しているとのこと(**)
知人に確認すると、
御堂筋は川のよう、梅田の1階の店は冠水?!
ようするに集中豪雨の影響です。
フライトが未定のままで時間だけが過ぎていきます。
どうなることやら・・・・
山形のエンジントラブルで1泊したことを思い出します。
とは言え腹が減っては戦はできません。
とりあえずはレストラン街へ行き、
郷土料理の冷汁定食&チキン南蛮を
食べながら待つことにしました。
結局40分遅れのフライト決定に一息ついたものの、
伊丹空港に21時10分までに着陸しなければ
関空に到着地が変わるとのこと(**)
そうなると帰宅時間がさらに1時間遅れてしまいます。
はてさて・・・どうなることやら
まぁとりあえず空港限定のマンゴソフトクリームを注文。
一口食べると濃くておいしく満足満足。
20時に満席のJALが飛び立つと
あっという間に眠りの中へ・・・ ・・・
着陸時の「ど~ん」という振動で目覚めると、
そこは伊丹空港でした。
良かった~
同時間帯のANAは関空へ飛んだとか。
普段の行いが良かったんだ(^^)
と思いながら家路に着きました。