本来あるべき文化の姿

「寺脇研氏が語る個人プロデューサーの極意 ~”京都文化塾プロダクション”の試みと展望」の公演を聞かせていただきました。

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。
文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的発言をされながら2006年11月退職。
現在、テレビ朝日「スーパーモーニング」、毎日放送「ちちんぶいぶい」に出演。
教育関係、格差社会、官僚についてなど数々の著書を出せれています。

座談会規模の会場に加え、本音で気さくにお話されたので印象深く残りました。

戦後より目覚しく発展し20世紀までがピークであった世の中。
病院やバスの無料化が当たり前。補助金による与えられた文化(?)があった。

そして21世紀はその代償として残された負の側面。
大阪は橋本知事に代表されているが、かつて経済が潤い儲けた土台が大きいだけに、近い将来にやってくる負の側面は想像をはるかに超えた形で現れるだろうと。

東京や名古屋はまだその前段階であるがこのままだと結果は見るがごとく。
大阪が最も早くその状況下に向き合う事となり、考えるその時がまさに今!

原点に帰ること。
映画「3丁目の夕日」の時代、今有るもので無かったものが沢山あるが、あの頃もそれなりに幸せだったのではと。

逆戻りをしなさいと言っているのではなく、本来何が必要なのかを見極め取捨選択、大切に残すべきものを厳選する時代にきていると。だからこそ真に必要で大切に思えるのだと。

補助金で進められる文化もその1つ。
設備投資、催しに予算付けして一方的に提供している内容では発展しない。

文化は本来税金でやるべきものではない。
落語1つとっても、しゃべる人に聞く人がいるから寄席と言われ、お互いのニーズが一致するからそこに文化が生まれるのだと。
与えられた場所に与えられた予算で、客が来ようがこまいが税金だから誰も困らない、あっても良し、なかっても良しの仕組みでは文化は発展しようがないと。

寺脇氏はご自分のできる範囲で氏・団員・大学生などでミュージカルを展開。

誰かが声をあげ、それに同意する周囲がいて、何とかやろうよと盛り上がり、形となり、広がり、認知され、また応援者が増え、いつしかファンと一体になっていく。
これぞ続く文化だと。

ポイントは「自分のできる範囲」!あなたでもできる。
資金が5万なら10万なら何をどう始めますかと・・・・

最後には私もやりたい!と思えるお話でした。
氏のお話を聞きながら、人はいつしか、物があふれる時代の中、ありがたさや人への思いやり、気づかいをどこかに置き忘れてしまったのではないかと考えされられました。

親が子供を、子供が親を大切にできない時代、少年犯罪がいつしか耳慣れてしまうほど定期的におこる時代、ニートが社会現象化する時代。
これらが何故起こり始めたのか、その根源にさかのぼらないと答えの”こ”の字さえ分からない気がします。

介護問題しかり、例えば核家族化が1つの要因であると言う前に、そこに至るまでの時代を追った視点を持たないと、自分の言葉に置き換えられないという事です。
近所の独居生活のお年寄りの助け合う姿を見ていると、答えがここにもあるかもしれないって思ってみたりします。
文化のお話を通して、自分の仕事を振り返る機会になりました。
文化が発展するプロセスはすべてに言えるのかもしれません。

「グレイッシュとモモ」を観に行ってみようと思います。

知らないだけで助けられてる

夕方出かけようと家を出たところ、近所の一人暮らしの年配女性の方(80歳前半の田中さん)が首にタオルを巻いて、額に汗して一生懸命にご自分の家の前のドブ掃除をされていました。
いつも綺麗に並んでいる植木鉢を全部横に移動してのちょっとした大掛かりなお仕事です。

私が「こんにちは」と声をかけると笑顔で「今からお出かけ?」といつもの挨拶が交わされます。

「ドブ掃除ですか?大掛かりですね」と話しかけると次のような答えが返ってきました。

「明日自治会で一斉にドブ掃除をやる日でしょう?
でも私はやるのがとても遅くて自分の家の前で精一杯。
その後皆で協力してやる共同エリアまでとても参加できないの。
だから日が落ちてちょっと涼しくなった今からここだけやっておいたら、明日はお手伝い出来ると思ってね」

それを聞いた私は、改めて地域コミュニテイーの輪の中でしっかりお世話にないっているんだと考えさせられました。

私も含め、朝早く家を出て、遅く帰ってくる働き世代。
自分で生活している気になっているけれど、目に見えない形で色々な方の関わりがあって生活が成り立っているんだと思わされます。

そういえば他にも・・・
朝早く出勤すると必ず集会所の草木に水を巻いていらっしゃいます。
急に雨が降ってくると呼び鈴を鳴らして下さり、何度洗濯物や布団が濡れずに助かったことか。

この方だけではありません。
先日台風がさった早朝には、脚立を支える人、乗る人、指示する人が声をかけあって何かされています。
前日の台風で電灯カバーが落ちかけているのを危ないからと声をかけあって取り除いていらっしゃたのです。

「隣の人は何する人ぞ」と無関心な人が多い世の中にあって、地域の輪のありがたさを感じました。
ご年配の方にしたら、私達がいるだけで安心するのだという事です。

決して恩着せがましく言われず、まるで自分達の仕事のようにもくもくと地域行事をこなしてくださっている皆さんに何がお返しできるんだろうと考えさせられた瞬間でした。

私が今できることそれは・・・
困ったことがあったその時に「ちょっと来て」と言ってもらえる関係作りの構築だと思いました。
いざという時に声をかけてもらえるよう、普段のちょっとした挨拶を意識してみようと思いました。

そして当然、ドブ掃除をしている田中さんに、「お疲れさまです」ではなく「ありがとうございます」と頭を下げている私がいました。

感謝!