さて、冬とは違い、これから暖かくなるにつれ、母が大切にしていたメダカの餌やりの頻度が問題になってきました。
そこでピン!ときました。
メダカの鉢を玄関外に並べて、近所の方に「おばちゃん〜スーパーへ行くついでに餌をやってくれへん?」とお願いしました。
「よっしゃ、任しとき」と交渉成立。
これで一つ問題解決!と思って1週間後に帰ってみると、餌のやり過ぎで水が濁っています。
「このままだと、メダカが死んじゃう!」早々水を入れ替えました。
そしてもう一度、「おばちゃ〜ん、餌やりありがとう、でもやり過ぎやわ、耳かき程度でいいねん」
「そっかぁ、大阪人やから気前がええねん、分かった次から気をつけるわなぁ」「うん、頼むわ〜ありがとね〜」
私から頼んでるにも関わらず、しっかり注文をつけるところは、双方が大阪人だからでしょうか^_^
投稿者: 井上ルミ子
懐かしさ思い出の土地
懐かしい思い出の土地に続く道は、深い落ち葉で覆われていました。
ところどころ道路は陥没し、倒木が道を塞いでいました。
一昨日、小さい頃両親が、毎年連れて行ってくれた場所を訪れてみました。
我が家で土地を買って、土地の整備と山菜取りが定例の行事でした。
住所だけを頼りに、車も途中から降りて、道なき道を一歩一歩進んでみました。番地など書いているはずもありません。
「もう見つからないから帰ろう」そんな会話も出ていましたが、何故か歩みを止める気になれませんでした。
気持ちがおもむくままに進み、屈んで木々をかき分けたその先に、なんと懐かしい風景が広がっていたのです。
「あったよ!ここよ!ここ!」思わず、叫び皆を呼び寄せました。
きっと母親が、『もうちょっと先よ、諦めないで!』っと、後押ししたんだろうなと感じました。
幼い頃の私たちに、残してくれた確かな時間が蘇ってきた瞬間でした。耳が生えている木を見つけました【写真】思わず、語りかけてみました。
「私は元気、Papa、Mama聞こえてるかい?」



ママの子で幸せでした
1月2日に母が他界しました。
楽しみにしていた私とのクルージング旅行の旅先で倒れ54日後のことでした。
昨年 3 月、メラノーマという特殊なガンが、母の全身に転移していることを知りました。元気で全く自覚症状がないだけに、本人の戸惑いはたとえようがなかったと思います。旅行前日もジムに通い、医療者の私でさえ、ここまでの展開の早さは想像がつきませんでした。
11 月 5 日に旅行へ出発、最初の 3 日間は夢のように充実した時間でした。その後急変し、船上からヘリで搬送され→九州の病院→大阪の病院→在宅での看取りとなりました。
数えきれない方々にお支えいただいたことに感謝申し上げます。
母は、「途中で倒れてもクルージングに行けて良かった」と、写真を眺め何度も語ってくれました。
最期は、自宅の大好きな庭を眺めながら、家族の談笑に包まれ、ノンアルコールビールで喉越しを楽しみ、息を引き取るその瞬間を家族で見送ることが出来ました。訪問医いわく、在宅介護でも、その瞬間に立ち会えるのは非常に珍しいとのことです。
そっと瞼を閉じ、沢山の蘇る思い出を胸に、「時を駆け抜けて逝った」母でした。
母が亡くなり、改めて気付かされたことが2つあります。小さいころから見慣れたはずの実家の庭が、癒してくれます。山茶花が咲き誇り、様々な鳥が出入りするその小さな空間は息づいています。
至るところにユニークな陶器の置物、私の小学時代の作品モアイ像がこちらを見ています。人呼んで「ジブリの庭」です。ふと、ミカンを枝に刺してみると、つがいのメジロの会話が聞こえてきます。
山茶花の枝を切って、温かい部屋に小さな冬を招き入れます。
私にこんな感性があったのかしら・・・母が今の私を見たら驚くと思います。
もう一つは、母の書類の整理能力には脱帽です。
亡くなって約1ヶ月、様々な手続きが必要ですが、私が探す書類はすべて見つかります。
保険関係、墓地関係、銀行関係、携帯の暗証番号に至るまで、とにかく全てです。母の独特の整理方法があり、それは完全なアナログですが、その威力を身をもって感じました。
親が亡くなって一番困るのは、何がどこにあって、どうなっているのかがわからないことです。
母は私にその苦労を一切させませんでした。
書類が見つかるだけでなく、その書類には、やり取りの日付と簡単な内容が時系列で書かれています。
そのため、私の理解も瞬時です。
母がいつ、誰と、何を、どのように交わしたのかが分かるのです。私は、母とは真逆で「大雑把すぎる」とよく言われたものです。
そんな私が先日から、母の整理方法を真似はじめました。母の自慢げな顔が目に浮かびます。
素直に「この能力が私に引き継がれていますように・・・」と願います。
下記は、「父の介護」に続き「母の医療」を綴っています。少しでも在宅医療・介護に携わっている方のお役に立てればと思います。https://carestyles.com/carelab-2/

思い出づくり
母と母の親友の3人で、大阪梅田のMAGIC SOLEIL太陽の魔法レストランへ行ってきました。
おもてなしから、お料理タイム、ショーにいたるまで、全てがエンターテイメントでした。5人のマジシャンが、交互に見せてくれます。驚き、笑い、笑い、驚き!驚き!と![]()
前日の妹家族のホームパーティーに続き、笑顔の1日でした。
♯太陽の魔法レストランhttps://magicsoleil.com/

H.C.R.2024 第51回国際福祉機器展&フォーラムにて講演終了
150名以上の方々にご参加いただき、誠にありがとうございました。
この日はちょうど朝のニュースで、御巣鷹山のジャンボ航空機事故から38年の教訓が、今年の羽田空港で起こった火災事故で乗客乗務員全員救出と繋がっていると聞き、まさにこれだと思いました。
私が講演することで、介護事故を減らすにはどうすべきか。
それは方法論を語ることではなく、人間の本質に基づいて再現性のある関わりを、各事業所のリソースに合わせ考えて実施すべきであることをお伝えしました。
自己を経験だけに終わらさず、組織の教訓として得たものを継続的に取り組み続けて頂きたいと思います。




仙台旅行
また一つ母との思い出づくり。
親子3人で仙台旅行。
空港到着後、レンタカーで一路日本三景松島めぐりと国宝.瑞厳寺へ。
早々母の心は踊ります。
翌日は、平泉の中尊寺,弁慶堂、本堂、金色堂、白山神社を巡りました。
奥州藤原氏の本拠地であり、源義経、弁慶の主従終焉の地。
以前に訪れた事のある母が詳しく解説してくれます。
17:00が過ぎ、辺りは暗くなりましたが、弁慶の墓を訪れ、義経の妻子の墓、義経の供養塔に訪れた時は真っ暗、携帯の光を頼りに訪問しました。
最終日は、蔵の町並み村田町へ。
室町,江戸の商人の活気が伝わってくるようです。
建造物の説明を受け、鳥取の町並みに似てると懐かしんでいました。
夜は、牛タン、生牡蠣、ワイン、シャンパン、日本酒、何でも美味しいと堪能してくれる母。なんと最終日はゆっくりし過ぎて、空港到着がフライト30分前、ギリギリ、母曰く、スリル満点で全く!!と。
共に過ごす今この時の思い出だけは、私たちの中から消える事はありません。












H.C.R.2024 第51回国際福祉機器展&フォーラムにて講演
10月2日~4日 セミナ-講師として講演させて頂きます。
10月2(水)15:00~16:00
「介護現場のリスクマネジメント~事例から学ぶ事故防止対策~」
事故は、同じようで同じじゃない、事業所の資源が違うことをふまえお話しさせて頂きます。 ぜひご来場、ご受講ください。
[受講料:無料(事前申込制)]
・会場:東京ビックサイト
・セミナー情報の詳細、お申し込みはこちら 予約よりどうぞ!
CareTEX大阪2024 講演
大阪ケアウィーク’24 10月9日~11日
今年も、専門セミナー(経営者向けコース)に登壇します!
10月9日(水)10:00~11:00
「経営者必聴!介護コンサルタントが問題解決に至るまでの思考とプロセスを“マル秘”公開」
経営者様が、自分に問い考えて頂く時間です。 ぜひご来場、ご受講ください。
[受講料:無料(事前申込制)]
・会期:11/29(水)~12/1(金) 9:30~17:00
・会場:インテックス大阪 ・主催:ブティックス(株)
・セミナー情報の詳細、お申し込みはこちら 予約よりどうぞ!
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よろしくお願い致します。
父を通して学んだこと
本日は、個人的な内容ですが、私の感じた大切なことをシェアできたらと思い書きます。
5月29日に父が永眠いたしました。
87歳でした。
胸部大動脈瘤の破裂は宣告されており、2年前から覚悟しておりました。医師が珍しいと言ってくださるほど、発作の症状が最小限で、家族との穏やかな会話の時間が持てました。
17年前、起業する上で、いつかくるこの時のために、大阪へ拠点を移しました。毎夜、入浴介助と就寝介助に実家へ通う日々を3年過ごしましたが、介護が嫌だと思った事は一回もありませんでした。むしろ、この時間がいつか無くなってしまうんだなぁと、それを覚悟していましたが、今回現実を迎えました。
最期の瞬間に立ち会う事ができ、私自身が納得できました。
多くの関係者の皆様に感謝申し上げます。
今でも定例の時間帯に実家に行くと、無意識に腕時計を外している自分がいます。入浴介助の事前手続きを身体が覚えているのです。こんな瞬間にあの時の当たり前が、かけがえの無いものであったことを実感します。
今回、介護をする一人の家族として、介護とは何か、生きるとは、生き切るとはどういうことか、それと向き合い自身はどう変わっていくのか、自分の中のあらゆる価値観に触れました。
そんな自分の気持ちを素直にケアLabに綴っています。
テーマ2:パパの介護
第1回~第6回は、父の介護エピソード、介護への価値観第7回~第19回は、救急搬送、父の死への覚悟、旅立ち、私達
テーマ1:ママの医療
2か月前、母にも大きな病気が見つかりた。死生観、心のうつろぎ、家族の思い、知人・友人・関係者の存在で前向きに向き合っています。
それぞれの関わりは、私にとって、私しだいで、事実の意味づけを変えていけることを体感しております。

