「是非観てください」と職員や地元の方に
お誘いいただきました。
地元の文化を知らずして、
真に喜ばれるサービスに気づけない!
長野の御柱祭りで体感した事でした。
この度も市・町そのものを実感できる
絶好の機会を頂き、
とてもありがたい貴重な時間でした。
約250年前の宝暦5年(1755)新庄藩は
大区作にみまわれました。
当時の藩主が、領民に活気と希望をもたせ、
豊作祈願をするために、
翌年、氏神様である天満神社の祭典を
領内あげて行なったのが、
新庄まつりのはじまり。
毎年8月24日25日26日に開催
平成21年3月に国重要無形民族文化財に
指定された山車行事は大変に
見ごたえがありました。
驚いたのは、
屋台と呼ばれている
山車の作り物を毎年作り替えるとのこと
しかも人形の顔以外は、
すべて市民の手作りだそうです。
祭り前日まで、
街のあちらこちらで、
制作途中の屋台が目につきます。
夜になると、
地域の方々が集まり、
トントン、カンカン・・・・
制作中の続きが始まります。
青いビニールシートの
内部で行なわれていますが、
盛り上がりの頂点を目指して、
一丸となって取り組んでいるだろう
雰囲気が感じられます。
いよいよ当日!!!
参加者の熱気と興奮が伝わってきます。
祭り囃子が軽快に聞こえてくる中、
21の屋台がゆっくりと通過・・・
住民の方々の大きな誇り。
風流 「梶原平三誉石切」
石橋山の合戦に頼朝が敗走した後の鎌倉。
平家の大庭三郎景親に、青貝師(らでんの細工師)
六郎太夫と娘、こずえ(源氏の武士と許嫁)が
刀を売りに来ました。
その時参詣で出合った梶原平三に大庭三郎景親が
鑑定を依頼したところ、紛れも無く名刀と判断いたしました。
大庭は三百両の値をつけたものの信じる事が出来ず試し斬りに至る。
六郎太夫が一命を救われる舞台が一変し、三幕では梶原平三が
石の手水鉢を真っ二つに切って、名刀の本領を見せつけました。
源氏再興のため軍資金が必要な六郎太夫と平家に居ながら
源氏頼朝の器量を見抜き危難を救った梶原平三。
名刀がおりなす心とこころの絆が深まる名場面です。
上記のように、それぞれの屋台には
題目とストーリーがあり、
一つの屋台上において、
ストーリーの数場面が表現されています。
百聞は一見にしかず・・・・
この迫力はブログでは伝わらないので
是非機会があれば訪れてくださいませ。
「少し見せてください」とのお願いに、快く写真まで撮って下さり、東本町若連の皆様との記念撮影となりました。
ありがとうございました!