「能」道成寺を観て

道成寺は1時間半、久しぶりに、大倉源次郎さんの小鼓に触れました。
息遣い、迫力、見えない間、こちらの息が止まりそうでした。
後見は息子さん。
受け継がれるとは、意味深いと感じ入りました。
ただいまから、万博に向かいます。最終日、終わりは、明日の始まりです。

母が言ってたな

9月下旬ハワイへ。
「行ける時に連れていって」これが母の口癖でした。
母を見送った後は、お世話になったおばさんの時間も有限であることを実感し、後悔がないよう行動しました。

おばさんにとっては初めての海外。
長年商売一筋の人生に後悔はないが、残り人生で少しの楽しみを望みたいと。
新たな思い出を積み上げて欲しいと願います。

★今回のハプニング
パールハーバーで携帯を無くたことに気づき大慌て!
しかし事務所へ届けてくださっていて生き返えった気分でした。
心よりお礼申し上げます。(皆さんには奇跡だと言われました)

<スケジュールと感想>
Hotel:The Royal Hawaiian, a Luxury Collection Resort, Waikikiピンクを基調としたホテルで、ガーデン植物の手入れがみごと。
1日目
12:00 ホテル着、周辺散策、買い物、明日以降の予定を決定
2日目
5:45 Hiuwai amorning Ritual (hotel activities) ヒュヴァィ伝統のビーチのお清めで、早朝日の出に活力をもらう
8:45〜18:00  Ocean Journeys,LLC 1日かけてオワフ島を半周遊しながら、自然観光やソールフードを堪能、がしかし、途中でサングラスを無くす
3日目
6:20〜15:00 Dolphin&You イルカ、海カメ、あざらしと出会う、シュノーケリングで海底ウオッチング、カヤック、滑り台スライダーで海遊び
4日目
6:20 〜15:00
Pearl Harbor USSArizona Memorial (無料)
Pacific Fleet Submarine Museum(有料)
USSのアリゾナメモリアル、潜水艦が沈んでいるメモリアルで黙祷。
時間の都合でUberを使い個人で訪問。
政府管轄(無料)だけに、入れるかどうかは行かないと分からない。
数日前は、工事中のため閉鎖されてたとのこと。
ダメ元で挑戦し念願叶う。
★感想
小学生の時に広島の原爆資料館で感じた戦争への抵抗。
あの時の重重しい気持ちが蘇る(大切)。
やられた記憶、やった事実が私の中で重なり、戦争が何を生んだのか、悲しみ、憤りだけが押し寄せる。
今の私たちにできることは、恨むことではなく、2度と戦争を起こさないことを心に刻み、対話を途絶えさせないことこそが、未来への責任だ。
16:00 Chief’s Luau 夕食を食べながら、地元のあらゆるダンスなどを楽しむ、途中舞台に上がり踊りの体験、最後のファイアーショは息を呑むほど。
5日目
6:00 コーヒーとパンを買って、ビーチで朝日を楽しむ。瞑想。
10:30 Ribbon Lei Making (hotel activities) 最後の思い出は、リボンレイを作成。私は赤と青の万博カラーを選択。上手くできだぞ!
12:00 ホテル出発し空港へ。空港でハンバーガーを食べる。

特別な万博

9月月23日は、特別な万博を楽しませてもらいました。
今年1月に亡くなった母がとても楽しみにしていた万博、元々母を招待するつもりだった妹家族が、私に参加して欲しいと声をかけてくれました。

メチャクチャ綿密な計画を立て、毎夜何台ものデバイスとにらめっこして、予約を取り、最後の最後まで素敵ない思い出となりました。妹家族と母に感謝です。

5:30出発
8:30 最前列で来場(面白い経験)
フランス館
ポルトガル館
コロンビア館
12:00石黒館 いのちを拡げるいのちの未来(有限ないのち、永遠のいのちの選択、いのちとは何かを考えさせられる)
河瀬館 森の集会所イベント
15:30自動運転バスで万博を周遊
16:00くら寿司(世界中の食を楽しむ!)
17:30-20:30サウジアラビア第95回建国記念日ナショナルコンサート
18:40イタリア館(途中抜けてもうダッシュ)
19:30サウジアラビアコンサート再来場
20:30ドローンショー
23:00 帰宅

一番のハプニングは、コンサートを抜け、イタリア館への移動。走った、走った!その後再来場してLiSAの歌には間に合いました。
 ↓
新進サウジアーティスト(ゼナ・エマド、ミシャール・タマー、DJハンナ)と日本アーティスト(LiSA)のパフォーマンス伝統と伝統が融合も最高!!!「アルダ」のリズム日本の能楽師とサウジのネイ奏者日本の太鼓奏者とサウジのサムリ奏者World Expolympics賞で「ベスト・プレゼンテーション賞」」のノミネート作品「水の物語」日本の海女とサウジアラビアの真珠ダイバーとの共通点、真珠を探すダイバーをパフォーマンスとプロジェクトマッピングで表現。

私にとってモノじゃないんですよね

5月24日、馴染みの自動車屋さんへ愛車を引き渡しました。
1998年に知人が購入し、2003年にもらったカローラ。
86000キロ、27年間、良く走ってくれました。

私にとっては、故障しらずの安定感が一番でした。
馴染んでいる存在に価値がありました。
時に、見知らぬ年配者から「懐かしい車」と声がかかります。
とくに父が要介護になってからは、大活躍でした。

ここにきて、困ったことが起こりました。
母の車が残り、維持のため2台を乗り換える日々。
カローラの廃車に決心がつきません。
もう少しこのままでもいいか・・・と税金や保険料を更新。
全く合理性のない先延ばしの判断です。

そんな時、馴染みの自動車屋さんから電話がありました。
我が家の車を全て熟知くださっている間柄です。
「車どうする?」
「良く走ってるからね、でも2台はいらないでしょう」
「廃車なら、解体して全て手続きしてあげるよ」

親しい自動車屋の一言で不思議と気が楽になりました。
共に大事にしてくれてた自動車屋さんが、解体してくれる。
この言葉が、「儀式」に感じ取れたからでしょうか。
「廃車」という事務的な処理ではなく、敬意を示させてくれるプロセスに思えたのです。

エンジンが止まってくれたら気が楽でしたが、だからこそ、私の安全を守ってくれていたことに感謝です。
前日に車を拭き上げ清掃し、御神酒をかけて伝えました。無事役目を全うしてくれて「ありがとう」。

初の大阪・関西万博

自身の誕生日に大阪•関西万博へ。
母がとても楽しみにしてたなぁ。
来たよ!

思う事があって、同じパビリオンに4回参加。
1回は予約、3回は近くに座ってくつろぎながら、キャンセルコールの飛び込み参加。
毎回、感じ方がちがう。

さて、とにかく歩いた、歩いた。
ビール2杯、汗は出るが酔えない^_^

参加の工程で感じた事は、高齢者の単独参加はハードルが高いなぁチケットの購入システムが複雑パビリオンの予約は難関入場前、炎天下&長蛇の列に耐えられるか入場後は何とかなる。
果たして辿り着けるか?
周囲の方々、せめて手続きのヘルプをしてあげて欲しいです。

実家対策その2

3週間かけて、ようやく完成!
母が大切にしていた小さな庭があります。
12月1月と、母を優しく見送るように、咲き続けてくれたサザンカに感謝です。

自分で決めたミッションは、庭を維持する事。
課題の一つは、水やりです。
これから夏に向け、適宜やる人がいない訳です。

そこで自動散水機に挑みました。
三方向に、3種類のホースを設置しました。
材料費は、21,000円ほど。
少しづつ取り寄せ、設置を繰り返しました。

やってみると、ホースの長さや高低差で、灌水量が違ってきます。
へ〜なるほど!あっ冷たい!そんな独り言を経て完成しました。
「良く頑張ったね」と母に褒めてもらいたい!
当時の子供心に出会いました。

お空から見えてますか?

「4月の桜見れるかなぁ」
「4月の桜も見たいなぁ」と言っていた。

何も言わず、ただ深く大きく頷いた私。
思いが痛いほど分かるとは、まさにこれ。

“せめて、それまでみんなと一緒にいたい”そんな強い母の思いを全身で感じる瞬間だった。
ふと、行きたくなった。
今年の造幣局の桜の通り抜け。

私たちを通して感じてくれてるかなぁ。
通りの少し先に、かけがえのない姿が見え隠れしている、そんな不思議な時空間でした。

懐かしい甲子園球場

阪神百貨店の抽選で当たり🎯
阪神VSヤクルト戦会場の一体感は現地ならでは!
思い出した!
井上家は父を筆頭に阪神ファンでした。

実家対策その1

さて、冬とは違い、これから暖かくなるにつれ、母が大切にしていたメダカの餌やりの頻度が問題になってきました。
そこでピン!ときました。

メダカの鉢を玄関外に並べて、近所の方に「おばちゃん〜スーパーへ行くついでに餌をやってくれへん?」とお願いしました。
 「よっしゃ、任しとき」と交渉成立。

これで一つ問題解決!と思って1週間後に帰ってみると、餌のやり過ぎで水が濁っています。
「このままだと、メダカが死んじゃう!」早々水を入れ替えました。

そしてもう一度、「おばちゃ〜ん、餌やりありがとう、でもやり過ぎやわ、耳かき程度でいいねん」
「そっかぁ、大阪人やから気前がええねん、分かった次から気をつけるわなぁ」「うん、頼むわ〜ありがとね〜」
私から頼んでるにも関わらず、しっかり注文をつけるところは、双方が大阪人だからでしょうか^_^

懐かしさ思い出の土地

懐かしい思い出の土地に続く道は、深い落ち葉で覆われていました。
ところどころ道路は陥没し、倒木が道を塞いでいました。

一昨日、小さい頃両親が、毎年連れて行ってくれた場所を訪れてみました。
我が家で土地を買って、土地の整備と山菜取りが定例の行事でした。

住所だけを頼りに、車も途中から降りて、道なき道を一歩一歩進んでみました。番地など書いているはずもありません。
「もう見つからないから帰ろう」そんな会話も出ていましたが、何故か歩みを止める気になれませんでした。
気持ちがおもむくままに進み、屈んで木々をかき分けたその先に、なんと懐かしい風景が広がっていたのです。
「あったよ!ここよ!ここ!」思わず、叫び皆を呼び寄せました。
きっと母親が、『もうちょっと先よ、諦めないで!』っと、後押ししたんだろうなと感じました。

幼い頃の私たちに、残してくれた確かな時間が蘇ってきた瞬間でした。耳が生えている木を見つけました【写真】思わず、語りかけてみました。

「私は元気、Papa、Mama聞こえてるかい?」