マナー講師養成講座を受講して

2日間のマナー講師養成講座が終了致しました。
沢山のマナー研修の中で今回私が選択させて頂いた養成講座は、一言でいうなら”私のニーズに合った講座”であり大変満足しております。
http://cs-confort.co.jp/consul.html

私のニーズとは・・・
接遇エッセンスが2日間に凝縮されていること
パターン化されている内容ではなく、参加者の講師経験に合わせアレンジして下さったこと
講師の方と多面的な視点で意見が交わせるということ

現在では医療・福祉現場においても接遇研修の導入が一般化されております。
目的は”選ばれる施設” ”選ばれる病院”になる為です。

それぞれの研修会社が医療・福祉用に、職員の社会人としてのマナーにはじまり、対象者に対する温かな対応力の必要性や方法など工夫されたさまざまな研修をラインナップされています。

受講した職員からも、参考になりました、勉強になりましたと反応は良好です。
しかし、現場に戻って数日経つと、知識はそのままですが、現場での活用が不明瞭な状態。
最終的には、研修を実施した結果報告のみが監査や第三者評価に役立ったという状態も少なくありません。

各々の施設が必要性を感じ、年間研修に外部セミナーを取り入れるまで行動を起こされているにもかかわらずもったいない話です。
理由は、職員各々は、接遇が必要なこととその方法については理解出来ています。
施設を一歩出た社会においては、そこで教わった知識が活かされているものと思います。

しかし残念ながら、介護そのものと接遇を結びつける根拠までは、職員の中に落とし込みきれていないようです。
さらに言うと、接遇が介護そのものであるという認識までには至っていません。
また、その時点の現場体制と求めるべき接遇精度は大きく連動しており、そこを見極め考慮したセミナーが必須です。

2日目の昼から1時間の講義実践をさせて頂きました。
現場経験6割+教わった知識とその根拠4割をアレンジした講義内容を提供させて頂きました。

内容は、「介護コミュニケーションの重要性」と「おもてなしの気持ちの届け方」に絞りました。

例えば、教わったコミュニケーションの要素である言語、非言語(ボデイランゲージ)を現場に置き換えるとしたら、あえて介護コミュニケーションと呼ばせていただきます。
その理由は言語、非言語(ボデイランゲージ)+(タッチランゲージ)の存在が欠かせないからです。
読んで字のごとくですが、ここには深い意味と目的と到達点が隠されています。

講師の方から深いうなずきと太鼓判をいただきました。
自身のコンサルティングの経験則が間違っていない事が実感できた講座でした。

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保健師学校の同窓会

卒業後第3回目の同窓会が開催されました。
幹事さんにお礼を申し上げます。

皆さんは前回の同窓会の話をされるけれど何故かピンとこない私。
おそらく第2回目は欠席し、あの頃はニュージーランドの空の下だったように思います。

懐かしい方々との再会です。
しかし顔と名前が一致せず、時の経過を感じてしまいました。

地元9割、県外1割といった感じでしょうか。
ご主人の転勤という理由以外は、地元にいながら保健師業に携わっている方がほとんどでした。
別の同窓会と違って、圧倒的に就業率が高いのが印象的でした。

市町村役場の職員として勤務されているほとんどの方は、色々な部署を経験し逞しい保健師になられていました。
これぞ我が地域の保険師さんといった感じです。

地域包括支援センター、介護保険担当、母子担当、高齢者担当、障害者担当、地方の勤務の方はそれを総合的に提供しているそうです。

母子担当者の自己紹介では、幼児期の子育と虐待の関連性について話をされたので、子育て中の皆様もビク!とされていたような・・・・(^^)。日々高齢者の虐待を問題視している私は共感!

企業の保健師(産業保健師)も勢いがついていました。
大企業の健康管理部門が多く、メタボリック健診に始まりメンタルヘルスケアに至るまで、今の日本を支える最前線の勤労者の強い見方です。

うつ病の話題では、成果主義に翻弄されながらも、おかれた状況下で自分がどう解釈し受け止めるか、要するに成長の歩みからくる性格形成の影響なども出ていました。

会話に参加しつつ、母子、成人、そして私が関わる高齢者フィールド、当たり前ですが全部つながっている事を改めて実感します。
今だからこそ一本の線で表現できます。

私自身、産業保健師でいたころは、高齢者や介護の知識はあっても、その現場に身をおき感じる実の部分までは表現できませんでした。

今は、日々の現場の中で、食事、入浴、排泄、アクテイビテイなど生活をベースとしたあらゆる事柄、単に提供するのではなく、何故それを提供していくのかの根源を振り返り職員に伝えていく毎日です。

誰にもある認知症になる確率、誰にもある寝たきりになる確率。
自分だけはと思ってみたり、実感が湧かないから遠い先の事であるように捉えている人が多いようです。

本当は、これから各々が身を置く事になる介護期に今からできる準備が沢山あります。
身近な方の介護、自身の介護、もしかしたら生涯健康も今からの準備しだい。
成果主義社会において勝ち組であった方がかならずしも成功者とは言えない世界です。

医学的、統計的な話に加え、将来を実況中継するがごとく伝えていけたら、40代、50代の方々の行動変容にも役立つのではと考えております。

例えばメタボリック健診の真の意義は?

現役世代の方々に、必ず行く道”老い”の世界を一時でも考える機会が提供できたら、その後の準備は本人しだいです。
物事の捉え方や価値観、現在の自分を振りかってもらう良い機会になるかもしれません。

こう捉えてみませんか?
皆様にとっては、”老いることは楽しむこと”にできる積み立て期間中です。

だから今何をする?
だから今どう考える?

企業保健師であった私が伝えるべき事に気づかされた同窓会でした。

「成年後見制度」セミナー実施

大阪市内にある有料老人ホームの主催にてセミナーを開催いたしました。

タイトル 
なぜ必要?「成年後見制度」とは何か?

大老連を見て直接電話で申込みをされる方や紹介センターの案内を見て早くに申し込まれている方々など様々でした。
最初に予想していた通り、すでに勉強されていらっしゃる方や自分の老後を考え真剣に学びたいと集まってこられた方が多く、1時間半の長時間にも関わらず、その後の質問も30分以上続きました。

さらに個別にテーブルで質問を受けると千差万別。
何を不安に思っていらっしゃるのか、何が理解できていないのか、何にひっかかっているのかが良く分かりました。

今回の私のテーマは話を聞きながら頭の中でイメージが組み立てていけるような内容を提供することでした。
参加者の中、すでに他でセミナーを受けられたことのある数名から「今回は分かり易かったわ、来て本当に良かった」の声を頂きました。
セミナー参加者に持って帰ってもらいたい内容を定め、それに向けた構成をする必要性を実感いたしました。

他にも2名の方からお礼の電話が入ったそうです。
セミナーとセミナー前後のスタッフの方々の心のこもった丁寧な対応、最初から最後まで満足されたとのお言葉でした。
「良い」と感じて頂いた事にお礼の電話をして下さるその姿勢に、逆に礼儀を学ばせて頂いた次第です。


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精神看護研究会にて発表

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精神看護研究会の参加メンバーとは、精神関連の病院でご勤務されている管理者や看護師の方々、さらに研究を深めていらっしゃる大学院生や大学教授の方々であるとお聞きしておりました。

表題「介護と医療と生活の輪」

タイトルだけは以前に使用したものを採用しつつ、内容については、現在、福祉をフィールドに活動している私が伝える事ができるメッセージを、考え絞り込んでお話させて頂きました。

人を看る(看護・介護)ということ、人と向きあうということの究極の意味とは。
これはどちらにも共通している課題。
違いは医療現場と福祉現場だと思います。

日常の激務の中、やってはいけないと思ってはいても・・・・・・
もっと向き合ってあげたいと思ってはいても・・・・・・
発表後の質問タイムに現場の看護師の方々から頂いたお気持ちです。
現場状況は容易に想像できるだけに、痛いほどそのジレンマが理解できます。

だからこそ、あえてお伝えしたい事です。
治療をしているその前にいるのは人であるということを。
看護をしているその前にいるのは人であるということを。
介護をしているその前にいるのは人であるということを。

これは私自身に問い続けようと思っております。
「仕方がない」という言葉は、解決できるかもしれない万分の1の望み、一筋の光を閉ざしてしまうこと。
事実がすぐに動かなくても、考え続ける事を諦めてはいけない。
患者、入居者、利用者の方は、私達に向き合う一瞬、一瞬、毎回この人を信じてみようと向き合ってくれているのだと。

その一瞬を裏切ってしまう自分がいたら・・・
そんな時「仕方ない」の隠れ蓑は使わず、とことん自己嫌悪に落ち込んでみようと思います。
落ち込んで、考えて、また同じ場面で同じ事しか出来なかったら、また自分に問い直す。
先の先の先にそれが活かされたら今までの「ごめんなさい」に感謝する。

進んでいないように見えても、諦めずに考え続ける力は、自分らしくある最大の武器だと思います。

原点は「私はどうしたいの?」だと思うのです。

ミュージカル”グレイッシュとモモ”を観て

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子供から大人まで楽しめるミュージカルと聞きながら観させて頂きました。

心を閉ざした少女モモがモモにしかできない大活躍を通して周りの危機を救ってくれます。
言葉がつまりゆっくりしかしゃべれないモモ、それでも伝えたい事は沢山あります。
世の中、自分に合わそうとする人ではなく、相手に添ってみようとする人が増えたら素晴らしい世界が見える期待感を感じました。

時間泥棒とモモは戦います。
24時間の時間を生産性に関わる以外は全て無駄と位置づけ活動に駆り立てる人間の心の隙間に生まれた時間泥棒グレイッシュ。
生産性のみを目的に生きてその先に生まれるものは?誰のために、何のために、何を残すために活動しているの?
本来時間を使いながら、よろこび、悲しみ、トキメキなどの”思い出”という心に貯金をすることができるのが人間。
それが許されず、生きている目的が無いことに気がつき、生きていくのに疲れてしまう灰色の世の中にしたくないとモモは決心し、勇気を持って自分を奮い立たせます。

鑑賞していた子供はどのように感じていたでしょうか。
私から見ると、笑う場面はもちろんのこと物語を理解しようとお母さんに質問しながら一生懸命何かを感じようとしながら、新しい世界を覗いたような2時間だったのではと思いました。

私も含め大人にとっては、昨日までの自分の生き方を振り返り、大切な何かを忘れていないかのおさらいの時間だったように思います。
また世の中の人がこんな風にお互いの個性を認め合えたら、自分には無い他の人の良いところを見つけ感激できるのにと感じたような次第です。

パンフレットの裏に書かれてありました。
「人間はね。それぞれが。その人なりの色を持っている。己の心に正直に生きてゆけば、必ず、その色は輝くんだ。」

これからも、関わらせていただく全ての方々の色を見つけていきたいと思います。

あ!今日も来てくれたんだ

先週、老人ホーム近隣の小学生が社会学習ということで総勢35名で訪問に来られました。
施設の説明を聞いた後に全体の見学、その後は各階に分かれて入居者の方と接してもらい約半日の課外学習でした。

入居者の中にはお子さんが来られると聞いただけで、うれしそうに涙し同時に何かあげなきゃとソワソワ。
おりこうさんの子供には褒めてあげたい、何かあげたい・・・この反応は家族内だとごく自然なおじいちゃん、おばあちゃんの役割だからです。

対応していた職員も一生懸命ホーム生活を伝えようと場を取り持ってくれていました。
大人を相手にするのと違い、分かり易く、興味を持ってもらうためのにはいつもと違う労力が必要です。

入居者のよろこびや職員のまなざしのやさしいさの結果かしら・・・・

次の日に前日見学に来ていた小学生の二人がお友達を連れ3人で遊びに来てくれました。
エレベーターに乗ると「このエレベーターはベットも入るんだよ」と友達に自慢してくれています。
”私が見つけた施設”という感じでしょうか(^^)
入居者とのゲームでも「次どうぞ」と、戸惑いながらも積極的に声かけをしてくれていました。
夕食前に終了し自転車に乗ってさっそうと帰っていきました。

そしてさらに次の日!
「こんにちは」と昨日の笑顔。
今度は手作りのフラワーペーパー一輪のおみやげ付きです。

子供の正直な反応を見ると、そのホームの居心地感が見えてきます。
日頃忙しい業務の中にも「大切なものが何か」に気がついている職員は、入居されている方や来客者にも心地よい存在でいてくれています。
そして日頃から心地よい介護を受けている入居者の表情は穏やかであり、小さなお客様にそれが伝わるのでしょう。

そのうちミニボランティアさんになっているかもしれませんね。

 

「ダイバージョナルセラピーワーカー養成講座」を受講して(10月)

オーストラリア福祉の視点
「老いるとは楽しむこと、耐えることではない」  ~Aged Care 省:ブロンウイン・ビショップ大臣~
この言葉と出会った2年前が、ダイバージョナルセラピー協会との縁の始まりです。

現在養成研修に参加しさらに自分の考えを整理しております。

ダイバージョナルセラピーとは、人間の本来持っている生きる力に焦点を当てた関わりです。
介護とは、食事、排泄、入浴などの出来ない部分を補うだけでなく、人間が生きる目的であるハッピーも提供することで、そのためにはレジャー活動が必須であるということです。

「世界レジャー憲章」
すべての人類は、レジャー活動をする基本的人権を持つ。
レジャーを供与することは、健康、教育の為だけでなく、生活の質を向上させるためにも重要である。

自分に置き換えて考えてみました。
通常私達には、「次はこれをしたい」「あそこに行ってみたい」という思いで日常生活を楽しみ、自分で自分の必要性を感じる能動的活動を行っています。

ここで大切な事は、自分らしさを表現できる時間、空間、内容は人それぞれであり、広義で解釈すると、人によっては人生のある期間は仕事もレジャーの一部になるのかもしれません。

要するに心を動かす材料だと思います。
心地よさ、愛する対象がある、信じるものがある、主体的に行動する、できることや楽しみがある事は、生きていて良かったと実感できる瞬間であり、もっとQOL(生活の質)を高めたいという欲求が強くなるのだと思います。
自然と明日に生きる楽しみを見出して生活しています。

しかし長い人生の過程の中、自身でレジャーを演出する時間には限りがあります。

自立に近い方の場合、自分がやりたい事が表現できたり、日々提供されるアクティビテイの中から自身で選択したりと意思を表現したり、行動を取る事が可能です。

一方、認知症の方や障害を持った方については、選択する意思を表現する事が難しくなっていたり、やりたくても体が動かなかったり、自分自身何が好きだったのかさえ思い出したり言葉に出せなくなってきます。

しかし楽しみたい!という思いは同じはずです。
楽しむとは自分がやりたい事ができた時です。
感性にあった物(事)を享受できた時だと思います。

私達はこの方々が何をやりたいのかは、聞いてみないと分からないし、情報収集して分析しないと答えがでません。
時に提供してみながら、表情や反応から「心の声」を聞いてみるのも1つです。

楽しいと感じてもらうには、その方のテンポや世界に合わさなければ、レクリエーションを提供した側の自己満足に終わってしまうからです。言い換えるとその人にとって意味のない言葉かけやレクリエーションは退屈へとつながってしまいます。

まずは、耳を傾けてみる、両目で見てみる、そして動いてみる事が始まりです。
個人を知る為の情報収集をベースに、アセスメントをして、ターゲットを絞り、ターゲットに合わせた計画を立て、目的意識を持って関わり、何の為にやったのか、最後には何に影響を与える事ができたのか。

レクリエーションに意味を持たせてみよう、これがレジャーの第一歩だと思います。

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本来あるべき文化の姿

「寺脇研氏が語る個人プロデューサーの極意 ~”京都文化塾プロダクション”の試みと展望」の公演を聞かせていただきました。

京都造形芸術大学教授。映画評論家。NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター。
文部官僚時代より教育問題に刺激的・積極的発言をされながら2006年11月退職。
現在、テレビ朝日「スーパーモーニング」、毎日放送「ちちんぶいぶい」に出演。
教育関係、格差社会、官僚についてなど数々の著書を出せれています。

座談会規模の会場に加え、本音で気さくにお話されたので印象深く残りました。

戦後より目覚しく発展し20世紀までがピークであった世の中。
病院やバスの無料化が当たり前。補助金による与えられた文化(?)があった。

そして21世紀はその代償として残された負の側面。
大阪は橋本知事に代表されているが、かつて経済が潤い儲けた土台が大きいだけに、近い将来にやってくる負の側面は想像をはるかに超えた形で現れるだろうと。

東京や名古屋はまだその前段階であるがこのままだと結果は見るがごとく。
大阪が最も早くその状況下に向き合う事となり、考えるその時がまさに今!

原点に帰ること。
映画「3丁目の夕日」の時代、今有るもので無かったものが沢山あるが、あの頃もそれなりに幸せだったのではと。

逆戻りをしなさいと言っているのではなく、本来何が必要なのかを見極め取捨選択、大切に残すべきものを厳選する時代にきていると。だからこそ真に必要で大切に思えるのだと。

補助金で進められる文化もその1つ。
設備投資、催しに予算付けして一方的に提供している内容では発展しない。

文化は本来税金でやるべきものではない。
落語1つとっても、しゃべる人に聞く人がいるから寄席と言われ、お互いのニーズが一致するからそこに文化が生まれるのだと。
与えられた場所に与えられた予算で、客が来ようがこまいが税金だから誰も困らない、あっても良し、なかっても良しの仕組みでは文化は発展しようがないと。

寺脇氏はご自分のできる範囲で氏・団員・大学生などでミュージカルを展開。

誰かが声をあげ、それに同意する周囲がいて、何とかやろうよと盛り上がり、形となり、広がり、認知され、また応援者が増え、いつしかファンと一体になっていく。
これぞ続く文化だと。

ポイントは「自分のできる範囲」!あなたでもできる。
資金が5万なら10万なら何をどう始めますかと・・・・

最後には私もやりたい!と思えるお話でした。
氏のお話を聞きながら、人はいつしか、物があふれる時代の中、ありがたさや人への思いやり、気づかいをどこかに置き忘れてしまったのではないかと考えされられました。

親が子供を、子供が親を大切にできない時代、少年犯罪がいつしか耳慣れてしまうほど定期的におこる時代、ニートが社会現象化する時代。
これらが何故起こり始めたのか、その根源にさかのぼらないと答えの”こ”の字さえ分からない気がします。

介護問題しかり、例えば核家族化が1つの要因であると言う前に、そこに至るまでの時代を追った視点を持たないと、自分の言葉に置き換えられないという事です。
近所の独居生活のお年寄りの助け合う姿を見ていると、答えがここにもあるかもしれないって思ってみたりします。
文化のお話を通して、自分の仕事を振り返る機会になりました。
文化が発展するプロセスはすべてに言えるのかもしれません。

「グレイッシュとモモ」を観に行ってみようと思います。

知らないだけで助けられてる

夕方出かけようと家を出たところ、近所の一人暮らしの年配女性の方(80歳前半の田中さん)が首にタオルを巻いて、額に汗して一生懸命にご自分の家の前のドブ掃除をされていました。
いつも綺麗に並んでいる植木鉢を全部横に移動してのちょっとした大掛かりなお仕事です。

私が「こんにちは」と声をかけると笑顔で「今からお出かけ?」といつもの挨拶が交わされます。

「ドブ掃除ですか?大掛かりですね」と話しかけると次のような答えが返ってきました。

「明日自治会で一斉にドブ掃除をやる日でしょう?
でも私はやるのがとても遅くて自分の家の前で精一杯。
その後皆で協力してやる共同エリアまでとても参加できないの。
だから日が落ちてちょっと涼しくなった今からここだけやっておいたら、明日はお手伝い出来ると思ってね」

それを聞いた私は、改めて地域コミュニテイーの輪の中でしっかりお世話にないっているんだと考えさせられました。

私も含め、朝早く家を出て、遅く帰ってくる働き世代。
自分で生活している気になっているけれど、目に見えない形で色々な方の関わりがあって生活が成り立っているんだと思わされます。

そういえば他にも・・・
朝早く出勤すると必ず集会所の草木に水を巻いていらっしゃいます。
急に雨が降ってくると呼び鈴を鳴らして下さり、何度洗濯物や布団が濡れずに助かったことか。

この方だけではありません。
先日台風がさった早朝には、脚立を支える人、乗る人、指示する人が声をかけあって何かされています。
前日の台風で電灯カバーが落ちかけているのを危ないからと声をかけあって取り除いていらっしゃたのです。

「隣の人は何する人ぞ」と無関心な人が多い世の中にあって、地域の輪のありがたさを感じました。
ご年配の方にしたら、私達がいるだけで安心するのだという事です。

決して恩着せがましく言われず、まるで自分達の仕事のようにもくもくと地域行事をこなしてくださっている皆さんに何がお返しできるんだろうと考えさせられた瞬間でした。

私が今できることそれは・・・
困ったことがあったその時に「ちょっと来て」と言ってもらえる関係作りの構築だと思いました。
いざという時に声をかけてもらえるよう、普段のちょっとした挨拶を意識してみようと思いました。

そして当然、ドブ掃除をしている田中さんに、「お疲れさまです」ではなく「ありがとうございます」と頭を下げている私がいました。

感謝!

フェアトレードが成功する為には

以前からフェアトレードの考え方に賛同している私です。

豊富な自然資源と伝統の技術を持ちながら、商品開発のノウハウや商品を販売する市場の情報を持たない人々が自立できるよう支援する貿易のパートナーシップです。

世界には私達が持ちえていない伝統技術、自然素材などが広く知られることなく埋もれています。
情報を持たず、その日の生活維持の為に必死で生きることしか選択できない方々は、自らの技が世の中に対等に扱われる価値があることを知らずに生活されています。
他国の指示により低賃金重労働を強いられている現実があります。

先日フェアートレード・コーヒーを購入しました。
日頃からコーヒー好きの私は1ケース購入。
価格は普段のものよりも4倍ほど高めですが、そこに必要性や意味を感じているので当たり前だと思っています。

ただ飲んでみてとても残念に思いました。
おそらく生産時は”薫り高く味わい深い製品”として自信を持って出荷されたんだと思います。

しかし実際飲む段階では、パッケージがやや色あせ、コーヒーの香りはまったくせず、生産者の思いが消えていました。

何が問題だったと思いますか?
私はおそらく保管の問題だと思います。
長期間、高温環境にて保管されていたからではないでしょうか。

私も時々経験します。
いつも買っているコーヒーですが、買い溜めし長期保管しておくと同じきな臭い匂いになってしまいます。
もちろん有効期限内ですが保管方法への後悔を感じた事が何度かあります。

この商品は某チェーン店と提携して売り出されています。
会計時に見つけたので注文すると、奥の調理場のダンボールからおもむろに取り出されていました。

残念だと感じたのは購入したからではありません。
せっかくの取り組みも、関係する各セクションで丁寧に取り扱わなければ、製品から発するメッセージが伝わってこないということです。

生産している方々がどのような思いで託されたことでしょう。
フェアートレードカンパニーにとって、販売ルートを確保するだけでなく、品質保持の為のリスクマネージメントがさらに重要なことではないでしょうか。
商品の品質をそのまま届ける事は何よりも重要なことだと思います。

同情で購入しているわけではありません。
対等においしいコーヒーを提供してくれる方々に価値を見出しています。
せっかくの味が失われているようでは、ユーザーが離れていくのではないでしょうか。

少し話しは変わりますが、9月8日インドネシア人看護師・介護福祉士候補の海外技術者研修協会の開校式が都内で開催さてました。
彼らには語学のみならず免許習得期間も設定された厳しい条件が設定されています。

いろいろな志をもって来日して来られたと思います。
これから出会う人々や職場で関係する方々が「一人前になってもらうためにどうしたらいいか」を惜しみなく考え対応していただきたいと思います。

私も留学中ボランティアとしてナーシングホームで活動しておりました。
スタッフの皆様が私の欠点ではなく良いところを見つけては褒めてくださったり、ランチになったら誘ってくださる管理者の方々のおかげで、その国が大好きになった私です。
人同志の付き合い、人に教えてることの原点を考えながら技術や知識をお伝えいただけたらと思います。