「ダイバージョナルセラピー養成講座」を受講して(12月)

<コミュニケーションの理論と多彩な実践>
コミュニケーションには言語と非言語がありますが、往々にして言語コミュニケーションは自分中心になりがちだという事を意識しなければならないと思います。
情報提供する場合、自分が関心を持ったことを中心に伝えようとする傾向があるからです。

しかしその内容は、必ずしも相手が知りたいことと一致しない場合があります。
提供したい内容がある場合、相手の頭の中が整理できるように順序立てて伝えなければ相手が理解できずコミュニケーションが成立したとは言えません。
時に相手の受け止め方次第では凶器になりえる事も含め、意識した正しいコミュニケーションが必要です。

では正しくコミュニケーションがとれなければどうなるのでしょうか。

親子問題を見ていると、親の“つもり”という思い込み、愛情をかけたつもりだったが、受け止める側が愛されていると感じられなければ成立しないという事です。

社会問題を見ていると、うつ病の急増はコミュニケーションが希薄化した社会が要因でもあります。人の接し方すら知らぬまま成長してしまう、あるいは間接的にコンタクトがとれるツールや遊びが存在する現代社会ですが、一歩踏み外すと立ち上がる術も知らなかったということになります。

さて介護現場ではどうでしょう。
情報交換(申し送り)、事故、人間関係などあらゆる場面において問題が浮上します。
浮上している問題はあくまでも結果論で、その根底にあるのは、ところどころコミュニケーションという配線が機能していない事にあります。
そしてこの断線しているコミュニケーションという経路を整理することが私の仕事の初期段階でもあります。

<高齢者のライフスタイルとスリープマネジメント>
眠りについての科学的根拠を知ることで、施設運営に工夫ができることを感じました。
エネルギー保存というメカニズム、電気毛布の使い方、夕方の軽い運動やレクリエーション、寝る前のダウンライト、パジャマへ着替える条件変化、太陽の光などが体内時計へとつながります。
腹式呼吸などリズミカルな動作がセロトニンが分泌され感情を安定させます。

施設時計と体内時計を連動させる視点で日課や関わりを再検討する意義は大きいと思います。
眠りが浅い方、昼夜逆転傾向の方などに対し、睡眠薬処方のその前にやるべき事があります。

<日本の社会と高齢者の生活文化の背景>
 今の高齢者の特性としては、遠慮や我慢をされ、他人に対してなかなか本心を表現されない傾向があります。
これは農耕民族で一つの土地で生活してきたこと、そのため共同体感覚である村意識により人間関係を保ってきたからだと言われています。
公共心が備わっているため、周囲への気づかいが第一優先になります。

一方現在の若者は個人主義であり周囲を意識することなく自身のやりたい事を思った時に行動する傾向が強いです。
これは社会が豊かになり、個人を主張する余裕が出てきたことによると言われていますが、反面他人を気遣うやさしさやさりげなさが失われつつあります。

大家族で暮らしていた時代は、一つのものを皆で使う、分け合う事から相手を気遣う習慣が身についていましたが、現在では一人で一つのものが与えられることもあって、自身の欲求を満たすことが先行されがちです。

私達が関わらせて頂いているのは、感情を表に出さないことを美徳とした高齢者であるという事を意識しなければなりません。ご自分のやりたいことを口に出す事が少ない方々です。
そのような方々に対し周りの者は、「訴えが少ない良い人」と勘違いしていないでしょうか。
本心にある願いを汲み取りきれていないだけではありませんか。
そう考えると「こうして欲しい」という訴えがとてもありがたく感じます。
答えを下さっているのですから。

正直望みをお聞きすると「早くあの世のお迎えがきてくれたらいい」とおっしゃる方が一人や二人ではありません。
やはり自分で自分の時間が組めない、やりたくても出来ない、やれるのにやらせてもらえない、やりたい事がない、こんな思いが含まれているような気がします。

何とかしたいと強く感じた。

運営懇談会に参加して

今回の運営懇談会では、改めて施設の運営の良否は、ご家族の理解や協力の上に成り立っている事を実感させられました。

ご家族は日頃の施設の活動、それに向き合う姿勢をしっかりとご覧になっていらっしゃいます。
その答えが今回の料金改定という議題に対し、賛成を頂けたのだと思います。
おそらく運営懇談会に参加されるまでに色々と考えられた事と思います。

ご家族のお一人が意見を下さいました。
「私は資料を見て、お話を聞いて良心的な判断だと思います」と・・・・・

各々の施設において、それぞれの家族への思いややりとりがあると思います。
どのように受け止めて頂けるかは、日頃から真摯な思いを持って、正しい情報提供やコミュニケーションに心がけているかだと思います。

さてこの施設は、新たなステージに入っています。
私の仕事の最終目的は、問題を解決するだけでなく、さらに施設をクリエイトしていく事です。
そこにしかない魅力を創造し続けていくことです。
時代のニーズに対応できる施設を創出することです。
施設の年輪が価値基準になる時代を目指します。

「ダイバージョナルセラピー養成講座」を受講して(11月)

<認知症や特別なニーズを持つ人への配慮と工夫>
人には、障害を受けたり高齢になっても、感性を持ち(過去の歴史や思い出の蓄積)、より良く生きようとする本能が存在します。その為その能力を見抜き働きかける周囲人の力量こそが、後の人生を左右する現実があり、改めて専門家としての責任を痛感致します。

本来その評価には経験則だけでなく客観的な根拠をおさえる必要があります。
医療でいうと、科学的材料であるCT画像より、ダメージを受けている部分と残された部分を考慮し「新たな可能性や働きかけはないか」という分析視点をもつなどです。

福祉でいうとその人がどのような生活をしてきたのか、その背景をとことん知るアセスメントが重要であり、この客観的データこそが、本人の心を納得させ、満足感のある介護につながるのだと思います。

10人十色とは良く言ったものです。
私はレクリエーションで関わる場合、可能なら大きさ、色、形など選べる材料を準備するようにしています。
その時に「あ~この方はこんな色が好きだったんだ」と瞬時にアセスメントしたり新たな一面を知ることが出来るからです。
常に個と向き合うその瞬間で有意義に関わりたいと考えながら接しています。

人の脳にはミラー細胞と呼ばれ、他人の行動をみて共感できる細胞があります。
私達の思いが本物でないと相手を動かすことはできないという事です。

接遇研修で挨拶の仕方や言葉遣いを徹底的に教育すると、一般的に第一印象が良い為喜ばれます。
しかし時に丁寧ですが儀礼的に感じるのは私だけでしょうか。

教えられた挨拶や言葉かけで出迎えてくれていても、その人から伝わる”思いやり”の気持ちが存在しないと相手の感情は動かせないだろうと思います。
私でさえそう感じるのだから、日々介護を待って生活されている方ほど、残された5感が研ぎ澄まされ相手を見抜かれているのではないでしょうか。

私は介護に携わるその瞬間の気持ちと接遇そのものが同じである意味をとことん伝えていきたいと思います。

<高齢者の心と行動>
レスポデント行動とは特定の刺激によって誘発される行動であり、自ら止める事はできません。
一方、オペラント行動は、何も刺激を与えなくても自発される能動の部分です。

この能動とその結果が「こころ」の必要条件を構成するとの事です。
結果の大きさや結果が伴う確率はやる気につながる。
結果の伴い方は熱中や生きがいにつながる。
結果の質は価値の生成につながる。
逆に結果が上手く伴わないとやる気が消去されてしまう。

当然のことながら、歳をとって体力が衰え、機能喪失や環境変化が起こると、いままで出来ていた事ができなくなり、能動的な行動は消去され不活発になってしまいます。
逆に、何かに取り組んでもらい達成した喜びはやる気の強化となり、自発へとつながっていくでしょう。

だからこそ私達は、本人の能動に響く材料を見つけ、それを達成する為の環境作りに終始しようとします。
そのベースはやはり、相手を知ること、アセスメントだと思うのです。

<脳科学の視点での認知症理解>
「細胞」「神経」といった人間を現す最小単位に目を向ける事は、認知症という疾患を客観的に見ることができる新たな視点です。普段行っている対応がどのように影響しているのかという理解につながります。

人間の脳細胞は通常加齢によって脱落しますが、記憶した事を忘れないのは、残存している神経細胞間で新たなネットワークが作られその記憶や行動などを維持しようと働くからです(可逆性)。
認知症の原因は、この可塑性を上回って、神経機能低下(神経細胞の脱落)が引き起こされることによるとされています。

普段私達の介護は周辺症状への対応を行う事で、本人に安定した生活を送っていただく努力を行っています。
実はこの関わりが残存細胞に働きかけ新しいネットワークを築き上げているのです。
ある面で”施設の介護レベル”は”認知症の進行程度”により評価されるとも言えます。

ダイバージョナルセラピーの活動とは、本人の「快」の部分に焦点をあて5感を通じて情動へ働きかける中、ネットワークに連動しています。
これには本人が感じたい「快」の部分、訴求点をしらなければ成立しないところが、一般的に行われるレクリエーションとの違いであると考ています。

            

11月11日は「介護の日」

いい日、いい日、毎日あったか介護をありあとうを念頭に、2008年より「11月11日」は「介護の日」と決まりました。

“介護について理解と認識を深めもらい、利用者、家族、介護従事者、それらを取り巻く地域社会における支え合いや交流を促し、国民へ広く知ってもらいたい”として、厚生労働省が制定。

さて、介護従事者の立場である各事業所では、どのような取り組みをされたのでしょうか。

コンサルティングをさせて頂いている有料老人ホームにおいては、1ヶ月前のリーダー会にてその話し合いが行われました。
検討期間も短い事から実施する内容には限界があります。

それでも”やれること”を模索して、今回のテーマは認知活動に決定いたしました。
方法はティッシュ配り。
介護の日についての広告を差込、いざ駅前に・・・・。

「おはようございます~本日は介護の日となっております~よろしくお願い致します~行ってらっしゃい!」といった具合です。

私が音頭を取った訳ではありません、スタッフ自らの提案と実行です。
側で見ながら、改めて私が介護に役立てるには?を考えさせられました。

それは、このように自分達の仕事の幅を広げていきたいと思い行動に起こせる職員の育成でしょうか。
やらされているのではなく、やっていく職員の方々。
まずはこのステージまで引き上げる!これが私の存在意義だと思います。

高校生にティッシュを受け取ってもらいました。
おそらく介護が身近でない世代です。
サラリーローンや携帯会社のティッシュではなく、介護の日のティッシュです。
電車待ちのベンチできっと読んでくれてますよ!

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マナー講師養成講座を受講して

2日間のマナー講師養成講座が終了致しました。
沢山のマナー研修の中で今回私が選択させて頂いた養成講座は、一言でいうなら”私のニーズに合った講座”であり大変満足しております。
http://cs-confort.co.jp/consul.html

私のニーズとは・・・
接遇エッセンスが2日間に凝縮されていること
パターン化されている内容ではなく、参加者の講師経験に合わせアレンジして下さったこと
講師の方と多面的な視点で意見が交わせるということ

現在では医療・福祉現場においても接遇研修の導入が一般化されております。
目的は”選ばれる施設” ”選ばれる病院”になる為です。

それぞれの研修会社が医療・福祉用に、職員の社会人としてのマナーにはじまり、対象者に対する温かな対応力の必要性や方法など工夫されたさまざまな研修をラインナップされています。

受講した職員からも、参考になりました、勉強になりましたと反応は良好です。
しかし、現場に戻って数日経つと、知識はそのままですが、現場での活用が不明瞭な状態。
最終的には、研修を実施した結果報告のみが監査や第三者評価に役立ったという状態も少なくありません。

各々の施設が必要性を感じ、年間研修に外部セミナーを取り入れるまで行動を起こされているにもかかわらずもったいない話です。
理由は、職員各々は、接遇が必要なこととその方法については理解出来ています。
施設を一歩出た社会においては、そこで教わった知識が活かされているものと思います。

しかし残念ながら、介護そのものと接遇を結びつける根拠までは、職員の中に落とし込みきれていないようです。
さらに言うと、接遇が介護そのものであるという認識までには至っていません。
また、その時点の現場体制と求めるべき接遇精度は大きく連動しており、そこを見極め考慮したセミナーが必須です。

2日目の昼から1時間の講義実践をさせて頂きました。
現場経験6割+教わった知識とその根拠4割をアレンジした講義内容を提供させて頂きました。

内容は、「介護コミュニケーションの重要性」と「おもてなしの気持ちの届け方」に絞りました。

例えば、教わったコミュニケーションの要素である言語、非言語(ボデイランゲージ)を現場に置き換えるとしたら、あえて介護コミュニケーションと呼ばせていただきます。
その理由は言語、非言語(ボデイランゲージ)+(タッチランゲージ)の存在が欠かせないからです。
読んで字のごとくですが、ここには深い意味と目的と到達点が隠されています。

講師の方から深いうなずきと太鼓判をいただきました。
自身のコンサルティングの経験則が間違っていない事が実感できた講座でした。

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保健師学校の同窓会

卒業後第3回目の同窓会が開催されました。
幹事さんにお礼を申し上げます。

皆さんは前回の同窓会の話をされるけれど何故かピンとこない私。
おそらく第2回目は欠席し、あの頃はニュージーランドの空の下だったように思います。

懐かしい方々との再会です。
しかし顔と名前が一致せず、時の経過を感じてしまいました。

地元9割、県外1割といった感じでしょうか。
ご主人の転勤という理由以外は、地元にいながら保健師業に携わっている方がほとんどでした。
別の同窓会と違って、圧倒的に就業率が高いのが印象的でした。

市町村役場の職員として勤務されているほとんどの方は、色々な部署を経験し逞しい保健師になられていました。
これぞ我が地域の保険師さんといった感じです。

地域包括支援センター、介護保険担当、母子担当、高齢者担当、障害者担当、地方の勤務の方はそれを総合的に提供しているそうです。

母子担当者の自己紹介では、幼児期の子育と虐待の関連性について話をされたので、子育て中の皆様もビク!とされていたような・・・・(^^)。日々高齢者の虐待を問題視している私は共感!

企業の保健師(産業保健師)も勢いがついていました。
大企業の健康管理部門が多く、メタボリック健診に始まりメンタルヘルスケアに至るまで、今の日本を支える最前線の勤労者の強い見方です。

うつ病の話題では、成果主義に翻弄されながらも、おかれた状況下で自分がどう解釈し受け止めるか、要するに成長の歩みからくる性格形成の影響なども出ていました。

会話に参加しつつ、母子、成人、そして私が関わる高齢者フィールド、当たり前ですが全部つながっている事を改めて実感します。
今だからこそ一本の線で表現できます。

私自身、産業保健師でいたころは、高齢者や介護の知識はあっても、その現場に身をおき感じる実の部分までは表現できませんでした。

今は、日々の現場の中で、食事、入浴、排泄、アクテイビテイなど生活をベースとしたあらゆる事柄、単に提供するのではなく、何故それを提供していくのかの根源を振り返り職員に伝えていく毎日です。

誰にもある認知症になる確率、誰にもある寝たきりになる確率。
自分だけはと思ってみたり、実感が湧かないから遠い先の事であるように捉えている人が多いようです。

本当は、これから各々が身を置く事になる介護期に今からできる準備が沢山あります。
身近な方の介護、自身の介護、もしかしたら生涯健康も今からの準備しだい。
成果主義社会において勝ち組であった方がかならずしも成功者とは言えない世界です。

医学的、統計的な話に加え、将来を実況中継するがごとく伝えていけたら、40代、50代の方々の行動変容にも役立つのではと考えております。

例えばメタボリック健診の真の意義は?

現役世代の方々に、必ず行く道”老い”の世界を一時でも考える機会が提供できたら、その後の準備は本人しだいです。
物事の捉え方や価値観、現在の自分を振りかってもらう良い機会になるかもしれません。

こう捉えてみませんか?
皆様にとっては、”老いることは楽しむこと”にできる積み立て期間中です。

だから今何をする?
だから今どう考える?

企業保健師であった私が伝えるべき事に気づかされた同窓会でした。

「成年後見制度」セミナー実施

大阪市内にある有料老人ホームの主催にてセミナーを開催いたしました。

タイトル 
なぜ必要?「成年後見制度」とは何か?

大老連を見て直接電話で申込みをされる方や紹介センターの案内を見て早くに申し込まれている方々など様々でした。
最初に予想していた通り、すでに勉強されていらっしゃる方や自分の老後を考え真剣に学びたいと集まってこられた方が多く、1時間半の長時間にも関わらず、その後の質問も30分以上続きました。

さらに個別にテーブルで質問を受けると千差万別。
何を不安に思っていらっしゃるのか、何が理解できていないのか、何にひっかかっているのかが良く分かりました。

今回の私のテーマは話を聞きながら頭の中でイメージが組み立てていけるような内容を提供することでした。
参加者の中、すでに他でセミナーを受けられたことのある数名から「今回は分かり易かったわ、来て本当に良かった」の声を頂きました。
セミナー参加者に持って帰ってもらいたい内容を定め、それに向けた構成をする必要性を実感いたしました。

他にも2名の方からお礼の電話が入ったそうです。
セミナーとセミナー前後のスタッフの方々の心のこもった丁寧な対応、最初から最後まで満足されたとのお言葉でした。
「良い」と感じて頂いた事にお礼の電話をして下さるその姿勢に、逆に礼儀を学ばせて頂いた次第です。


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精神看護研究会にて発表

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精神看護研究会の参加メンバーとは、精神関連の病院でご勤務されている管理者や看護師の方々、さらに研究を深めていらっしゃる大学院生や大学教授の方々であるとお聞きしておりました。

表題「介護と医療と生活の輪」

タイトルだけは以前に使用したものを採用しつつ、内容については、現在、福祉をフィールドに活動している私が伝える事ができるメッセージを、考え絞り込んでお話させて頂きました。

人を看る(看護・介護)ということ、人と向きあうということの究極の意味とは。
これはどちらにも共通している課題。
違いは医療現場と福祉現場だと思います。

日常の激務の中、やってはいけないと思ってはいても・・・・・・
もっと向き合ってあげたいと思ってはいても・・・・・・
発表後の質問タイムに現場の看護師の方々から頂いたお気持ちです。
現場状況は容易に想像できるだけに、痛いほどそのジレンマが理解できます。

だからこそ、あえてお伝えしたい事です。
治療をしているその前にいるのは人であるということを。
看護をしているその前にいるのは人であるということを。
介護をしているその前にいるのは人であるということを。

これは私自身に問い続けようと思っております。
「仕方がない」という言葉は、解決できるかもしれない万分の1の望み、一筋の光を閉ざしてしまうこと。
事実がすぐに動かなくても、考え続ける事を諦めてはいけない。
患者、入居者、利用者の方は、私達に向き合う一瞬、一瞬、毎回この人を信じてみようと向き合ってくれているのだと。

その一瞬を裏切ってしまう自分がいたら・・・
そんな時「仕方ない」の隠れ蓑は使わず、とことん自己嫌悪に落ち込んでみようと思います。
落ち込んで、考えて、また同じ場面で同じ事しか出来なかったら、また自分に問い直す。
先の先の先にそれが活かされたら今までの「ごめんなさい」に感謝する。

進んでいないように見えても、諦めずに考え続ける力は、自分らしくある最大の武器だと思います。

原点は「私はどうしたいの?」だと思うのです。

ミュージカル”グレイッシュとモモ”を観て

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子供から大人まで楽しめるミュージカルと聞きながら観させて頂きました。

心を閉ざした少女モモがモモにしかできない大活躍を通して周りの危機を救ってくれます。
言葉がつまりゆっくりしかしゃべれないモモ、それでも伝えたい事は沢山あります。
世の中、自分に合わそうとする人ではなく、相手に添ってみようとする人が増えたら素晴らしい世界が見える期待感を感じました。

時間泥棒とモモは戦います。
24時間の時間を生産性に関わる以外は全て無駄と位置づけ活動に駆り立てる人間の心の隙間に生まれた時間泥棒グレイッシュ。
生産性のみを目的に生きてその先に生まれるものは?誰のために、何のために、何を残すために活動しているの?
本来時間を使いながら、よろこび、悲しみ、トキメキなどの”思い出”という心に貯金をすることができるのが人間。
それが許されず、生きている目的が無いことに気がつき、生きていくのに疲れてしまう灰色の世の中にしたくないとモモは決心し、勇気を持って自分を奮い立たせます。

鑑賞していた子供はどのように感じていたでしょうか。
私から見ると、笑う場面はもちろんのこと物語を理解しようとお母さんに質問しながら一生懸命何かを感じようとしながら、新しい世界を覗いたような2時間だったのではと思いました。

私も含め大人にとっては、昨日までの自分の生き方を振り返り、大切な何かを忘れていないかのおさらいの時間だったように思います。
また世の中の人がこんな風にお互いの個性を認め合えたら、自分には無い他の人の良いところを見つけ感激できるのにと感じたような次第です。

パンフレットの裏に書かれてありました。
「人間はね。それぞれが。その人なりの色を持っている。己の心に正直に生きてゆけば、必ず、その色は輝くんだ。」

これからも、関わらせていただく全ての方々の色を見つけていきたいと思います。

あ!今日も来てくれたんだ

先週、老人ホーム近隣の小学生が社会学習ということで総勢35名で訪問に来られました。
施設の説明を聞いた後に全体の見学、その後は各階に分かれて入居者の方と接してもらい約半日の課外学習でした。

入居者の中にはお子さんが来られると聞いただけで、うれしそうに涙し同時に何かあげなきゃとソワソワ。
おりこうさんの子供には褒めてあげたい、何かあげたい・・・この反応は家族内だとごく自然なおじいちゃん、おばあちゃんの役割だからです。

対応していた職員も一生懸命ホーム生活を伝えようと場を取り持ってくれていました。
大人を相手にするのと違い、分かり易く、興味を持ってもらうためのにはいつもと違う労力が必要です。

入居者のよろこびや職員のまなざしのやさしいさの結果かしら・・・・

次の日に前日見学に来ていた小学生の二人がお友達を連れ3人で遊びに来てくれました。
エレベーターに乗ると「このエレベーターはベットも入るんだよ」と友達に自慢してくれています。
”私が見つけた施設”という感じでしょうか(^^)
入居者とのゲームでも「次どうぞ」と、戸惑いながらも積極的に声かけをしてくれていました。
夕食前に終了し自転車に乗ってさっそうと帰っていきました。

そしてさらに次の日!
「こんにちは」と昨日の笑顔。
今度は手作りのフラワーペーパー一輪のおみやげ付きです。

子供の正直な反応を見ると、そのホームの居心地感が見えてきます。
日頃忙しい業務の中にも「大切なものが何か」に気がついている職員は、入居されている方や来客者にも心地よい存在でいてくれています。
そして日頃から心地よい介護を受けている入居者の表情は穏やかであり、小さなお客様にそれが伝わるのでしょう。

そのうちミニボランティアさんになっているかもしれませんね。