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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
ふと、父に聞いてみました。
「パパ、最近は夢を見るの?ほら、言ってたでしょう、急に立って歩き出す夢の話」
「ん?・・・あ〜あれな、いや最近は見なくなったな」
父は、手術の影響で下半身不髄となり要介護4の生活が始まって早3年が経過します。
当初は、頻回に目が醒めるたら急に歩けるようなっていた、そんな夢を話してくれていました。
「不思議なんや、ホンマに歩けるようになったんかと思った」
意識と現実にギャップがあり、目が醒めると現実は現実です。
「どんな気持ち?」
「そうやな、また歩けたんかと思って嬉しかったわ」
「そっか・・・」
おれから、2年ほどが経過し、そおいえばと思い聞いてみました。
「あの夢は良かったな〜、実に良い夢だった」
夢に対し、落ち込む自分ではなく、良かったという感覚の方が残っているようです。
現実の自分を認めつつも、意識の中の自分の体感に喜びを見出す父がいます。
本日は父の受診を設定しました。
通常は、3ヶ月ごとに本人と一緒に受診し、途中はお薬をもらうだけの月もあります。
今月はお薬だけの予定でしたが、父親の貧血が気になったからです。
「最近フラフラする」
「歩こうとしても腕に力が入らない」
「下瞼は真っ白」
症状と血液検査の結果(ヘモグロビンが低い)で、貧血治療の内服薬が処方されました。
先生のアドバイス
「飲むとキワキワするかもしれません、気持ち悪いようなら無理せずに見送ってください」
(その後、これと言った症状はなく飲み続けています)
とにもかくにも、先生に感謝です。
何かが起こることは仕方がないので、その時の対応に後悔がないようにしていきたいものです。
さて、病院を出たのが15時過ぎ。
今から囲碁に行くには、時間が十分ではありません(1時間以上かかる)。
一方、病院は私の事務所(大阪本町)の近くです。
要するに、病院は実家から車で1時間ほどの距離にあります。
父の循環器系疾患を幾度も救ってくださり、父が心から信頼する先生や病院とあって通い続けています。
「パパ、もう囲碁はいけないね」
「そうやな、仕方ないな」
「じゃあ、私の事務所で寝ててよ」
「私、ちょっと仕事したいのね」
私の事務所には、長ソファーがあります。
父が、身体を横にして休むのに丁度良いなと思いました。
タオルケットをかけてしばしお休みです。
私の足マッサージ機も心地よかったようで、すやすやと眠ってしまいました。
その間結構仕事ができました。
寝顔を見て、思わず笑えました。
コンサル先では、夏休みを迎えた子どもの居場所をコーディネートすることがあります。
職場に子どもを連れ仕事ができる環境設定などは、働きやすい職場づくりの一環です。
「ふと、これって親連れ出勤?!」
人それぞれの工夫があるものだと実感しました。
19時過ぎ、仕事も一段落です。
「さて、パパこの辺で晩御飯食べて帰ろうかね」
私の事務所は、大阪のビジネス街のど真ん中に位置します。
散歩がてら、車椅子でグルグルと歩いてまわりました。
条件は一つ、車椅子で入れるところです。
色々なお店がありますが、段差や狭さなどが目につきます。
「なるのどな〜」
ユーザー目線という、新たな視点が加わります。
店へ入り、車椅子から椅子へ移りホッと一息。
生ビールが美味しいと満面な笑顔を浮かべる父。
時々家族で外食しますが、久しぶりのビジネス街での外食は、父にとっても懐かしい時間に思えたのでしょう、待った甲斐があったようです。
周りのテーブルは、スーツを着たサラリーマンの方々ばかり。
私たち親子とのコントラストも面白い点です。
帰りの車の中、行き交う通行人を見て父が一言。
「ものすごい人やな、経済が戻ってきたのを実感するわ」
私には当たり前の風景でも、父には沢山の気づきがあったようです。
いわゆる私のビジネスの思考やアイデアを補ってくれる父がいます。
3月23日母のがんが発覚。
家族同席で来院するようにと呼びだしを受けていたので、ある程度のことは想定していました。
そのため、診察を受ける前に、お世話になっているケアマネへ、父の介護サービス内容を変更したいと打ち明けました。
この意味するところは、長らくお世話になったケアマネ、訪問看護、デイサービスや訪問介護に区切りをつけるということです。
残念ではありますが、2つの目的を達成するためです。
①母の残された時間を優先する
②父の囲碁を優先する
この二つを叶える介護サービスとは?
今までは、母、私、妹、同居の姪っ子や隣人の協力で、我が家の在宅介護は成り立っていました。
とはいえ、母がメインの担い手であったことに違いはありません。
その母の時間に限りがあるとなると、想定場面は大きく変わってきます。
父親が要介護4となって、早3年が経過します。
心筋梗塞2回、腹部大動脈瘤2回、胸部大動脈瘤2回の手術を経た循環器系の疾患を持っています。
手術の後遺症で、下半身麻痺、排尿、排便障害があり、車の座席に座っても自分で足を上げることすら出来なくなりました。
そう、我が家の転換期は、まさに父の介護から始まっています。
そんな父の日課は、月曜日~土曜日まで、毎日昼から囲碁クラブへ通うことです。
それこそが、まさに生きる楽しみだからです。
家族や隣人が相互に協力し、朝、昼、夜、送り出し、迎え入れ、適宜タクシーも活用し、リレーしながら日課を保ってきました。
複数の介護事業所との連携も、しっくりと馴染んでいた、そんな時でした。
2つの目的を同時に叶えるため、私が選択した新しいサービスは、看護小規模多機能型生活介護です。
通称”看多機”と呼ばれるサービスは、訪問、通所、泊りを一つの事業所で提供します。
”在宅介護”を選択した家族や本人の日常を支えてくれるサービスなのです。
4月22日。
母が初めて、化学療法で入院する日、同じく父も初めて、ショートスティに泊まる日となりました。
我が家にとって、二度目の生活をカスタマイズする時期です。
このように、変化する状況に合わせバージョンアップを繰り返し、その時期のベストアンサーを探ります。