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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
ふと、父に聞いてみました。
「パパ、最近は夢を見るの?ほら、言ってたでしょう、急に立って歩き出す夢の話」
「ん?・・・あ〜あれな、いや最近は見なくなったな」
父は、手術の影響で下半身不髄となり要介護4の生活が始まって早3年が経過します。
当初は、頻回に目が醒めるたら急に歩けるようなっていた、そんな夢を話してくれていました。
「不思議なんや、ホンマに歩けるようになったんかと思った」
意識と現実にギャップがあり、目が醒めると現実は現実です。
「どんな気持ち?」
「そうやな、また歩けたんかと思って嬉しかったわ」
「そっか・・・」
おれから、2年ほどが経過し、そおいえばと思い聞いてみました。
「あの夢は良かったな〜、実に良い夢だった」
夢に対し、落ち込む自分ではなく、良かったという感覚の方が残っているようです。
現実の自分を認めつつも、意識の中の自分の体感に喜びを見出す父がいます。
15時過ぎ、母から電話がありました。
「今日は、まだ皆んなでおしゃべりするみたい、だからパパを迎えに行ってくれる?」
本日は、母が友人から誘われてランチ会に出掛けています。
昨夜の打ち合わせでは、父のお迎えまでには帰ってくる予定でした。
母は、18時までに父を囲碁クラブへ迎えにいくつもりだったのです。
私はというと、急な連絡でも即答です。
「いいよ、ゆっくりしてきて」
気にせずに、友だちとの時間を楽しんで欲しいと思うのです。
しかし、私も仕事の打ち合わせ中で、切りが良いところまで仕上げようと思っていました。
こんな時、私はいくつかの選択肢を準備しています。
①妹に迎えが頼めるか?
②近所のおばちゃんに夕方家で待ってもらっていて、父がタクシーで帰ってくるか?
③私が迎えにいくか?(やりくりしたら可能)
私自身、一人で抱え込まないようにしています。
協力しながら、本日の時間を構成していきます。
本日は、妹が行けると言ってくれたのでお願いしました。
実現したいことと、我が家のリソースをフルに活用し組み合わせていきます。
母の時間も大切。
父の時間も大切。
私や妹の時間も大切。
せっかくだから、元気な間に美味しいもの食べに連れて行ってね。
そう、自らアクティブに活動しつつも、家族との時間は別です。
時々、外食に行ったり、週末は皆で集まって夕食を共にする時間が増えました。
今を充実させて欲しい。
それが母の願いです。
ふと、以前に母がベトナムに行きたいと言ってたなと思い、調べてみました。
行けそうなので、家族の集まる席で話をしました。
「行ってみたい」
母から即返事が返ってきました。
コロナ前は、毎年1回は母親と海外旅行に行っていたことを思いだします。
そんな母の反応に、妹も「行こう行こう」と反応してくれ、姪っ子の夏休み時期に決定しました。
話はトントン拍子です。
4泊5日の予定で予約が取れました。
その間、父は看多機に宿泊し、そこから囲碁に通ってもらいます。
つくづくサービスを切り替えていて良かったと感じた瞬間です。
後は、母の副作用の有無と程度です。
先生いわく、まずは予定を立てる。
何とかなるでしょう。
何とかならない場合は、何とかしましょう。
そんな気分です。
********ママさんが病院から送ってきたメール********
余命、元気な間に色々と、しておかなけれはけ行けないこと沢山あります
やつばり、考えてしまいます
食欲のある間、元気で動ける間に色々と、どこか連れて行って下さい
時間が大切と思っています
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父の入浴介助を終え新聞を斜め読みしている私と、一息ついた父へさりげなく話しかけてくる母。
「今夜この番組を観ようと思うの」。
2024年4月26日夜10:30~ NHK番組「時をかけるテレビ あと数か月の日々を~物理学者・戸塚洋二がんをみつめる~」、ノーベル賞候補と言われながら2008年がんで亡くなった、戸塚洋二氏の最期まで科学者であり続けた生きざまである。
「この人凄いのよ、自らの病についてのデータを集めたりね、頭の中に浮かんだ妄想を語ったりね」
番組内容を読み上げる母に対し、新聞を読みながら半分だけ聞いてる私。
「がんが進んだらどうなっていくんだろうって思うの」「なんか観てみたいなって」
「ふ~ん、何時から」
合図地を打ちつつも、双方違う行動をしながらの会話です。
実をいうと、母は一月前突然に、悪性黒色腫(メラノーマ)と診断を受けたばかりです。
胃、肺、筋肉内、複数カ所に転移が認められています。
メラノーマは、進行しやすく治療方法も限られる疾患です。
振り返ると、がんの告知後この1ヶ月間、母は怒涛のごとく行動していました。
「自分が動ける間に」
この言葉を何度も口にして、財産整理、遺言作成、もう一度会いたい知人・友人を訪ね鳥取や名古屋へと訪問。
「動いている間だけ忘れられるの、夜は全く寝れてない」
まさに今の母が置かれている境地です。
5日前、第一回目の化学療法(オプシーボ点滴)の治療を終えたばかりです。
その副作用は2週間後くらいに出てくるかもと言われ、今その恐怖を抱えています。
「今元気なのに、治療してしんどくなって、動けなくなるなら、意味がないやん、嫌やな」
「そうだね」
私としてもこればかりは、その時が来ないと何とも言えません。
母親の副作用が出ないで欲しいと願う気持ちとシンクロするのです。
好奇心旺盛で、学ぶこと、動くことが好きな母です。
今でも英語を習い、パソコンを使い、プールへ泳ぎにいきます。
TV番組も料理番組、ドラマ、ドキュメンタリィーと、あらゆるジャンルを録画して、時間を作っては一人で楽しんでいます。
番組が始まりました。
普段なら自宅へ帰ってしまう私ですが、なぜか母の横に座っています。
「このコーヒー美味しいわ」
「お菓子あるで」
「食べたい」・・・・
番組終了後に残った気持ちは、ひとそれぞれの最期があるのだということ。
誰もが一度だけ体験する”その時”です。
今回は、研究者戸塚氏の”その時”を共有した時間でした。
「そろそろ帰るわ」
私が玄関を出ようとした時の母の一言。
「今日は一緒に観てくれてありがとね」
母の中に、新たに生じる気持ちがあったのだと思います。
一人で観ていたら、その意味づけも異なっていたでしょう。
「私がいるから大丈夫」
母をハグして帰宅の途につきました。