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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
いつもより仕事が遅くなり、父の入浴介助が21:30ごろになりました。
やけどの傷を洗浄している時に、なんとなくお腹が張っている気がすると父が言い出すのです。
便秘かなとも思いつつ、気になったことがありました。
「パパその症状感じるのって初めてだよね、腹部の動脈瘤の部分じゃない、出血してたりして」
「ハハハ、それでもいいよ、成るようになる」
私と父の合言葉です。
この言葉は、何があっても後悔しないことを感じさせてくれる私へのパワーワードです。
実際それ以上の症状はなく、就寝準備が完了し、アイスクリームを食べて落ち着いています。
0:30父をみると少し寝巻きの胸をはたけて寝ています。
「パパ、しんどくない?」
「いつものことや、大丈夫」
「そう、血圧だけ測らせて」
127/78を見て、帰宅の途につきました。
後から聞くと、日中囲碁でも「少し胸が痛い」とのことだったそうです。
ただ、胸の痛みは、1年くらい前から時々、数十秒出ては収まる症状でした。
同じく、囲碁からの帰宅途中の車の中でも、少し背中が痛いと後部座席で横になっていたそうです。
母いわく、確かにいつも背筋をピンと伸ばして乗っている父にしては、珍しいと思ったようです。
しかし帰宅後、散歩に行くと言ってくれたので、安心したようです。
父はしんどいと思った日は、散歩を取りやめます。
そのため、この日は調子が悪かったことに気づかなかったということです。
帰宅後すぐ、1:13に母から電話がありました。
「パパがさっきから痛みが出てきたって言ってる」
「5分ほど様子をみたけど、ニトロも飲ませたけど、変わらない」
「痛みが脇腹に移動しているみたい」
「まだ我慢はできるみたい」
「ルミちゃん、どうしよう、病院に連れていく?」
かつても同じようなシーンがありました。
膀胱内の出血がひどくなり、このままだと詰まると判断し、夜間救急へ連れて行ったことがあります。
その時私は、救急車を要請するほどの緊急性は無いと判断し、自家用車で出向いたのです。
しかし、その時と今回は明らかに違います。
「ママ、救急車呼んで、○○病院ね」
「救急車にするのね?わかった」
「私もすぐに戻る」
私は再度、車で、実家までの25分を走りました。
○○病院に行くには、同じ道を通ることになります。
すれ違うことも考えて、LINE電話を繋げたまま家の様子を把握し運転しました。
LINE画面を通して様子がわかります。
私が家へ着く10分前くらいのところで、救急隊が到着されました。
救急隊の落ち着いた声が、母を冷静にさせます。
私の方はというと、移動中に救急車がすれ違いました。
当然別の救急車です。
LINEが繋がってなかったら、父親の救急車だと誤解してただろう絶妙なタイミングです。
改めて、様子が分かる、先が見えることが、混乱や誤解を防止するなと実感しました。
自宅へ到着、父はすでに救急車へ乗り込んでいます。
父の様子を確認した時に、救急車へ同乗した方が良いと判断し、2人とも乗り込むことにしました。
痛みのピークを10とした時、8と10を行ったり来たり。
10が続くと、激痛です。
「痛い・痛い・痛い」
顔面蒼白、脂汗が滲みでています。
こんなに痛がるものだと目の当たりにする私です。
「パパ、大丈夫」
「ここね、もうちょっとだからね、痛いね」
私は、走る救急車で立ったまま、父に覆い被さるように、両手で痛みの部分を抑えます。
少しでも気が散るようにと。
「パパ、ここね、押さえるよ」
父の痛みが伝わってくるがごとく、私の手に力が入ります。
母の日を祝うため、妹と京都でディナーを楽しむことを企画。
そうなると、大阪へ帰宅するのは夜遅くなります。
ようするに、父が囲碁から戻ってきた後、お世話をする者がいないのです。
今までなら、私が残って母を送り出していました。
妹と二人それぞれが、父と母との関わりを担当し、バランスをとっていたのです。
しかし、母には、20日に第二回目のオプシーボ治療が控えています。
それによる副作用がどうなるかはわかりません。
先の事を考えるより、今できること、母との思いで作りに専念します。
こうした思いつき企画を実現したく、4月から看多機サービスへ変更しました。
調整可能幅を極力広げるためです。
普段主に我が家は、訪問とデイサービスを利用しており、宿泊利用は定期的ではありません。
「急なんですが土曜日宿泊はできますか」
「大丈夫ですよ」
このように、可能な範囲で予定を組み替えることができ、融通が利きやすいので気持ちが楽です。
また、何かあれば、双方が気軽に連絡を入れ合います。
利用してひと月が経過します。
徐々に、双方のパターンやポイントが分かり合え、心の垣根が下がっていくことを実感します。
今回もまた、看多機の良さを実感しました。
ただいま父の入浴介助中。
父の入浴は、浴室まで移動し椅子に座ると、後は自分で身体を洗います。
その間15分ほどの時間ですが、私はというと、バルーン内の尿を破棄し、適当に掃除機をかけたり、晩御飯を食べたり(途中まで)と時間を無駄にはしません。
テレビや家族との会話に夢中になっていると、聞こえてくるのです。
「も〜え〜で〜」
ふと、この父が発する「も〜え〜で〜」の一定の声が可愛いいなと思えるのです。
それに気づいたのは、私自身が、無意識に浴室に向かいながら「も〜え〜で〜」と口ずさんでいるからです。
なんだろう、私にとってのアルファ波でしょうか。
大変と断定せずに、拠り所にしてみると、見えてくる世界が違ってくるのです。
現在私の置かれている立場は、父の介護に続き、もっか母が医療を必要としている段階になりました。
改めて自分の気持ちを、自分なりに見つめてみました。
こんな状況でも、”今が1番”だと思っている私の拠り所に、私自身が支えられてる気がするのです。
大変には種類があるのかもしれません。
①”世間で言う大変”もあれば、②”自分を感じとれる、自分を気づかせてくれる大変”まで幅広いのです。
どちらも存在します。
ただこれは、単に一律にグラデーションになっている訳ではないようです(①が濃くて②が薄いなど)
私の感覚では、それは面の状態で、どこをポイントにするかで、グラデーションの層が変わってくるのです。
私の場合は、「やってみよう」とか「やってあげよ」と思ってる濃さから、グラデーション層が始まるのです。
もちろんグラデーションの先には、”ザ・大変”も山のようにあります。
誰もが迎える可能性のある介護です。
介護をする際に大切なことは、ご自分を大切に、かつご自分が大切にしたいものを大切になさってもらえたらと思います。
ご自分の生活を守ること、この軸がブレることはありません。
その上で、ご自分が守りたいもの(介護の対象となった方への思いや愛情)を大切にするにはどうすべきか。
それぞれの事情を補うために、施設サービスや在宅サービスが存在するのです。
普段サービスを提供する側の私ですが、改めてサービスを使わせて頂きとても助かっています。
私が大切にしたいと思っていることを、私に守らせてくれる、それを応援してくださる介護事業所の存在だからです。
つくづく、介護サービスを受けるのは、単に介護を自分の代わりにやってくれるという役割分担の存在だけではないと感じます。
それぞれの家族が抱く、相手を慮るこころや愛情が、ありのまま続くことを応援してくれているのです。
父の入浴介助の際に、ふと右足ふくらはぎに、百円玉ほどの水泡が出来ています。
「パパ、これどうしたの」
「わからない」
「痛くない?」
「痛くない」
摩擦か?それにしてもこんな風になるのかな?
疑問に思いつつ、入浴介助し、出るころには水泡が破れていました。
とりあえず、アズノール+水をはじくシールを貼って応急処置。
下半身不髄の父の足は、部位によって、触感や痛覚の度合いがさまざまです。
例えば、足先などは圧痛はあるようですが、傷ができてもその痛みはありません。
今回は、痛みのない部類です。
よくよく聞くと、洗面所で使用する足元暖房機が原因のようです。
足がグネっと曲がり、気づかない間に暖房機と接触していた可能性が高いというのです。
「あらま」
確かに、そうなるとやっかいです。
低温火傷は、軽傷に見えて、しっかり深い火傷も多いからです。
知り合いの医師に相談したところ、現状感染は起こっていない状況とのことでした。
泡で洗浄し、ゲンタシン軟膏やワセリンなどをたっぷり使用して、1日2回ほどガーゼ交換が望ましいとのことでした。
深度はやや深め傾向とのことで、回復の状況を見て、やけど専用の創傷被覆材(ハイドロコロイド被覆材など)の治療法も提案いただきました。
ふと、規制緩和でオンライン診療が普及すれば、今回のような迅速な対応と安心が得られるなだろうなと思います。
父は現在、看多機のお世話になっております。
月曜日から土曜日まで、午前中は訪問、デイサービスを交互に利用しております。
どの場面でも必要なら看護師さんと接点が可能です。
そのため、今回のケースのように、しばらく可能な範囲での1日2回のガーゼ交換も可能です。
午前中に看護師さん、夜は私が実施できます。
事前に購入した、衛生材料を預けておくと、訪問のみならず事業所内でも実施して下さいます。
突然必要となる看護ケアですが、それが最小限の調整で実現できる環境が看多機です。
この状況は、当たり前ではなくありがたいことです。
ユーザーだからこそ感じられます。