テーマ2 パパの介護(ステージ2)

【第5回】大変にはグラデーションがある

クスって笑える幸せ

ただいま父の入浴介助中。
父の入浴は、浴室まで移動し椅子に座ると、後は自分で身体を洗います。
その間15分ほどの時間ですが、私はというと、バルーン内の尿を破棄し、適当に掃除機をかけたり、晩御飯を食べたり(途中まで)と時間を無駄にはしません。
テレビや家族との会話に夢中になっていると、聞こえてくるのです。
「も〜え〜で〜」

ふと、この父が発する「も〜え〜で〜」の一定の声が可愛いいなと思えるのです。
それに気づいたのは、私自身が、無意識に浴室に向かいながら「も〜え〜で〜」と口ずさんでいるからです。
なんだろう、私にとってのアルファ波でしょうか。
大変と断定せずに、拠り所にしてみると、見えてくる世界が違ってくるのです。

グラデーション

現在私の置かれている立場は、父の介護に続き、もっか母が医療を必要としている段階になりました。
改めて自分の気持ちを、自分なりに見つめてみました。
こんな状況でも、”今が1番”だと思っている私の拠り所に、私自身が支えられてる気がするのです。

大変には種類があるのかもしれません。
①”世間で言う大変”もあれば、②”自分を感じとれる、自分を気づかせてくれる大変”まで幅広いのです。
どちらも存在します。
ただこれは、単に一律にグラデーションになっている訳ではないようです(①が濃くて②が薄いなど)

私の感覚では、それは面の状態で、どこをポイントにするかで、グラデーションの層が変わってくるのです。
私の場合は、「やってみよう」とか「やってあげよ」と思ってる濃さから、グラデーション層が始まるのです。
もちろんグラデーションの先には、”ザ・大変”も山のようにあります。

介護サービスの存在意義

誰もが迎える可能性のある介護です。
介護をする際に大切なことは、ご自分を大切に、かつご自分が大切にしたいものを大切になさってもらえたらと思います。

ご自分の生活を守ること、この軸がブレることはありません。
その上で、ご自分が守りたいもの(介護の対象となった方への思いや愛情)を大切にするにはどうすべきか。
それぞれの事情を補うために、施設サービスや在宅サービスが存在するのです。

普段サービスを提供する側の私ですが、改めてサービスを使わせて頂きとても助かっています。
私が大切にしたいと思っていることを、私に守らせてくれる、それを応援してくださる介護事業所の存在だからです。
つくづく、介護サービスを受けるのは、単に介護を自分の代わりにやってくれるという役割分担の存在だけではないと感じます。
それぞれの家族が抱く、相手を慮るこころや愛情が、ありのまま続くことを応援してくれているのです。