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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
せっかくだから、元気な間に美味しいもの食べに連れて行ってね。
そう、自らアクティブに活動しつつも、家族との時間は別です。
時々、外食に行ったり、週末は皆で集まって夕食を共にする時間が増えました。
今を充実させて欲しい。
それが母の願いです。
ふと、以前に母がベトナムに行きたいと言ってたなと思い、調べてみました。
行けそうなので、家族の集まる席で話をしました。
「行ってみたい」
母から即返事が返ってきました。
コロナ前は、毎年1回は母親と海外旅行に行っていたことを思いだします。
そんな母の反応に、妹も「行こう行こう」と反応してくれ、姪っ子の夏休み時期に決定しました。
話はトントン拍子です。
4泊5日の予定で予約が取れました。
その間、父は看多機に宿泊し、そこから囲碁に通ってもらいます。
つくづくサービスを切り替えていて良かったと感じた瞬間です。
後は、母の副作用の有無と程度です。
先生いわく、まずは予定を立てる。
何とかなるでしょう。
何とかならない場合は、何とかしましょう。
そんな気分です。
********ママさんが病院から送ってきたメール********
余命、元気な間に色々と、しておかなけれはけ行けないこと沢山あります
やつばり、考えてしまいます
食欲のある間、元気で動ける間に色々と、どこか連れて行って下さい
時間が大切と思っています
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父の入浴介助を終え新聞を斜め読みしている私と、一息ついた父へさりげなく話しかけてくる母。
「今夜この番組を観ようと思うの」。
2024年4月26日夜10:30~ NHK番組「時をかけるテレビ あと数か月の日々を~物理学者・戸塚洋二がんをみつめる~」、ノーベル賞候補と言われながら2008年がんで亡くなった、戸塚洋二氏の最期まで科学者であり続けた生きざまである。
「この人凄いのよ、自らの病についてのデータを集めたりね、頭の中に浮かんだ妄想を語ったりね」
番組内容を読み上げる母に対し、新聞を読みながら半分だけ聞いてる私。
「がんが進んだらどうなっていくんだろうって思うの」「なんか観てみたいなって」
「ふ~ん、何時から」
合図地を打ちつつも、双方違う行動をしながらの会話です。
実をいうと、母は一月前突然に、悪性黒色腫(メラノーマ)と診断を受けたばかりです。
胃、肺、筋肉内、複数カ所に転移が認められています。
メラノーマは、進行しやすく治療方法も限られる疾患です。
振り返ると、がんの告知後この1ヶ月間、母は怒涛のごとく行動していました。
「自分が動ける間に」
この言葉を何度も口にして、財産整理、遺言作成、もう一度会いたい知人・友人を訪ね鳥取や名古屋へと訪問。
「動いている間だけ忘れられるの、夜は全く寝れてない」
まさに今の母が置かれている境地です。
5日前、第一回目の化学療法(オプシーボ点滴)の治療を終えたばかりです。
その副作用は2週間後くらいに出てくるかもと言われ、今その恐怖を抱えています。
「今元気なのに、治療してしんどくなって、動けなくなるなら、意味がないやん、嫌やな」
「そうだね」
私としてもこればかりは、その時が来ないと何とも言えません。
母親の副作用が出ないで欲しいと願う気持ちとシンクロするのです。
好奇心旺盛で、学ぶこと、動くことが好きな母です。
今でも英語を習い、パソコンを使い、プールへ泳ぎにいきます。
TV番組も料理番組、ドラマ、ドキュメンタリィーと、あらゆるジャンルを録画して、時間を作っては一人で楽しんでいます。
番組が始まりました。
普段なら自宅へ帰ってしまう私ですが、なぜか母の横に座っています。
「このコーヒー美味しいわ」
「お菓子あるで」
「食べたい」・・・・
番組終了後に残った気持ちは、ひとそれぞれの最期があるのだということ。
誰もが一度だけ体験する”その時”です。
今回は、研究者戸塚氏の”その時”を共有した時間でした。
「そろそろ帰るわ」
私が玄関を出ようとした時の母の一言。
「今日は一緒に観てくれてありがとね」
母の中に、新たに生じる気持ちがあったのだと思います。
一人で観ていたら、その意味づけも異なっていたでしょう。
「私がいるから大丈夫」
母をハグして帰宅の途につきました。
初回治療については、アナフィラキシーショックを考えて2日ほど入院をお勧めします。
その言葉を聞いて、母は、3日入院を選択しました。
入院前の血液検査で異常なし、予定通りの入院です。
「副作用は次の日くらいから出てくるものでしょうか?」
「いえ、この入院は初回投与のショックに備えるものであり、副作用の対策ではありませんよ」
「副作用が出るとしたら、薬が効き始める2週間ほど後になります」
確かに効果のプロセスを考えるとその通りです。
この場合の副作用は、自己免疫の効果を期待して、その効果が過ぎた時に起こる反応です。
そこまで深く考えておらず、母は気が抜けたようでした。
入院してしまうと、面会者は2名15分限定です。
特殊な治療をされている方々のエリアであり万全の体制です。
とりあえず昼から再度面会してから帰ることにしました。
ドトールのコーヒーを差し入れ、様子を確認しました。
薬剤師が薬の説明に来られ、今から治療に入るそうです。
(口腔ケアは入院前に確認済み)
エレベーター前で手を振る母が、とても小さくかわいく見えました。
あのニコニコ、結構いろいろな人を癒しているんだろうなと思いつつ、エレベーターが閉まりました。
夕方、主治医の先生から電話を頂きました。
「無事に治療を終えて、ショック反応もなく経過をしています」
退院を1日早くしたいとのことで許可を出してくださったそうです。
途中報告のお電話を頂き、丁寧な対応にありがたいばかりです。
ついでに先生へ質問させて頂きました。
「例えば旅行などを企画する場合、副作用の時期を避けたいのですが、アドバイスをいただきたい」
「副作用はそれぞれで、出現したら1週間とか続く場合もあります」
「出ないかもしれません」
「一つ言えることは、スケジュールは気にせずに立ててください」
「そのための治療です、お母さんが楽しむ時間を長くするための治療です」
「何かの時は、その時々で対応していきましょう」
心強いエールを頂けたようです。
そうね、考えても仕方がないわ。
********ママさんが病院から送ってきたメール********
点滴終わりました
今は無症状、何時も通り、病室では丁寧なこと立ち代わりそれぞれスタッフの気遣い凄いよ
朝も普通、無症状です
朝食はパン、完食
オプジーボ、悪性黒色腫、がん免疫療法
この薬は、身体に作用するのに2~3w後らしくその頃に出るらしいそうです
それを切らさない為に4w毎にずっと続けるそうです
自分はまったく分からないのでどんな自覚症状が出るのか
それが副作用なのか分からないので先が心配です
何時も気にかけてくれて気持ちの支えになっています
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そういえば、母は、自分がメラノーマだと知る随分前から、生きることの意味を考えていました。
私にこのドラマ参考になると、わざわざビデオを撮って見せてくれました。
2023年度NHK【土曜ドラマ】お別れホスピタル
高齢化が進行し、癌が国民病と化した現在の日本。
7割以上の人が病院で最期を迎える。
そんな病院の中でも 、 末期がんなど重度の医療ケアが必要な人や、在宅の望めない人を受け入れる療養病棟。
そこはまさに医療のセーフティーネット。
その最前線に立つ看護師は、 意思表示の難しい患者さんのわずかな変化も見逃さず、 そこでの 日々が最善であるよう努める。
ただ 苦痛を取り除くだけでなく、その人らしい「 限りある生のかたち 」 を求めて日々奮闘する。
そして、訪れた最期から、その人なりに「生き切った命」を見届ける証人となる。
患者さんや、その家族、そして彼らと関わる医師や看護師の、葛藤や、怒りや、悲しみや、小さな喜びや、笑顔や、素顔の先にあるドラマを通して、「死を迎える」ことと、「生きる」ことの意味を問いかける。
それは、私たちの未来への一筋の光につながっていくはず。「お別れホスピタル」それは一死の一番そばにある病院で繰り広げられる、壮絶で、けれど愛にあふれた人間ドラマ。
随分、古い新聞記事もあります。
すべて、死生観、看取り、に関する切り抜きです。
*2020年4月22日読売新聞:ACP(人生会議)を考える〜延命か尊厳か日米で意識差
*2023年2月8日読売新聞:死と生を見つめて〜緩和ケア家で尊厳ある死〜
*2024年3月30日読売新聞:死と生を見つめて〜故人との「継続する絆」
*2024年3月28日読売新聞:死と生を見つめて〜葬儀で感じた「つながり」
これらのドラマや記事に共通することこそが、母の伝えたい事なのだろうと思います。
ある日母がふと、ターミナルって何?と聞いてきました。
当然ですが、沢山の記事を読んでいる母です。
一般的なターミナルケアについては知っているはずです。
それでも質問してきた理由は、おそらく私が捉えるターミナルケアを知りたかったのだと思います。
それはまさに、母自身のターミナルケアを示唆するからです。
「ターミナルケアってね、ある一定の状態になると、もう病院に運ばないの」
「ほら、近所の〇〇さんの時も私が調整に入ったでしょう、今でも最期が迎えられて良かったって言ってくれてるよね」
「看取りの状態は、身体のあらゆる機能が自然に閉じようとしている段階なの」
「だから熱が出たからといって、以前のように病院へ搬送しないの」
「もう治す段階ではなく、苦しさやしんどさを取り除いてあげるの」
「病院に運ばれると、どうしても治すための関わりが必要になってくるでしょう」
「そこに新たな苦痛が伴っても治るなら意味があるけどね」
「そうではない段階に入っているのがターミナルケア、要するに在宅の先生、看護師さんや家族で看れる範囲で見守る段階」
「ママの場合は、ペインコントロールが出来る先生を見つけるよ」
「要は麻薬が使える先生で、それに慣れた先生だね」
「そんなこと自宅できるの?」
「できるよ」
「自宅で孫が出入りしながらね、そんなイメージかな」
「苦しまない?」
「しんどいのは嫌、もう意識が無くなってもいいから、眠らせてくれる?」
「分かってるよ」
「私に任せておけばいいよ」
母の表情が、何となくホっとしたように見えたのは、気のせいでしょうか。