テーマ2 パパの介護
【第9回 奇跡の時間】
家に帰っても眠れない
家に着いたのは、朝の5時半。
まず最初に取り掛かったのは、洗濯物です。
洗濯機を2度回し、その間に部屋の掃除をしました。
眠いはずなのに、全く寝れません。
自分の身の回りが荒れていると、心が整いません。
今までも、どんなに忙しくても、定期的に清掃することで、その気持ちを整えてきました。
淡々と日々のルーティンをこなして、8時過ぎには、再度病院へ戻りました。
到着する寸前から、痛み止めにフェンタニル注(麻薬性鎮痛剤)が始まっており、少しウトウトしていました。
「あ〜この状態かぁ、覚悟してたけどなぁ」
これが私の感想です。
奇跡の時間
ところが昼前にあれ?あれ?
痰を吐くのに、ギャッジアップをしたところ、目を開き、段々と覚醒してきたのです。
「痛くないの?」
「2くらいかな」
さらに1時間が経過します。
「新聞買ってきてくれ」
「もう、囲碁は行けないのか?」
本当に、今から起きて帰れそうなくらいの活気を感じ、笑い声が聞こえます。
通常、動脈瘤破裂だと24時間くらいで亡くなるケースが多いのです。
しかし父の場合、亀裂部分が一時的に血液の固まりで止まったのです。
これは珍しいケースのようです。
そしてここから忙しく面会が始まるのです。
東京から3男が駆けつけてくれました。
孫夫婦、奈良から次男と立て続けです。
「いよいよ逝くわ」
父が微笑みながら迎えていました。
電話で聞いていた姿とは、大きく異なっていただけに、皆さん驚きを隠しきれません。
それぞれの皆さんが、思い思いを語ってくれます。
「よかった」
「ほっとした」
「何、元気やん」
まるで、まだまだいけそうな、そんな勘違いをさせてしまうほどです。
「また、兄弟会しようよ」
兄弟が語り掛けます。
「そうしたいけど、そういう訳にはいかないんや」
「血管が破れててな、今は、かさぶたが出来てるだけや」
「これが外れたら、最期やからな」
父が答えます。
「自慢の兄弟やった」
「ありがとうな」
父が、それぞれ掛けつけた兄弟に話していました。
夕方、父親を慕ってくださってる郷土人会の役員の方から電話がありました。
父が今の状況をお話しすると号泣です。
「いやや、いやや、早すぎる」
「まぁ、そう言っても、これだけはしゃあないなぁ」
「最初から来るのが決まってたからな」
「ありがとうな」
「また、明日も声を聞きたいから電話していい?」
「しゃべれたらいいよ」
父の元気は続きます。
夕方、この調子ならどうしても、電話をしたいところがありました。
それは、長らくお世話になっていた囲碁の先生です。
先生も号泣してくださいました。
「もう、お話しできないと思ってました」
「昨日お昼間はお元気だったのに」
「今日聞いて、本当に驚いて」
「そう言わず、待ってますよ」
「井上さんが心の支えだったんですよ」
「先生には本当にお世話になったな」
「この恩は忘れへんよ」
その後、仲の良かった囲碁仲間お二人からも電話をいただきました。
電話の向こうで、男泣きの声が聞こえます。
父は穏やかに声をかけます。
「あんたには、ほんまにお世話になったな」
「トイレにも連れていってくれてな」
「本当にありがとうな」
完了の手続き
人には心残りの出来事があります。
これを専門用語では、未完了の状態とも言います。
例えば、あの時しておけば良かった、あの時謝っておけば良かった、そう思いつつ出来ずじまいで過ぎてしまう出来事です。
その一つの例が、人と人との最期のお別れ、多くのケースでは、突然やってきます。
あの人が入院した、あの人が来なくなった、あの人が亡くなった。
そう、昨日までいた人が、今日は会えない、話せなくなってしまうのです。
今回の父も、そうなっていてもおかしくなかったのです。
多くのケースは、そのまま亡くなってしまいます。
今回は、神様が与えて下さったのでしょうか。
だから私は、奇跡の時間と呼ぶことにしました。
それぞれの人と直接お別れが出来、「サヨナラ」を決心してもらえる時間なのです。