テーマ2 パパの介護

【第7回 救急車を要請】

予兆はあった

いつもより仕事が遅くなり、父の入浴介助が21:30ごろになりました。
やけどの傷を洗浄している時に、なんとなくお腹が張っている気がすると父が言い出すのです。
便秘かなとも思いつつ、気になったことがありました。

「パパその症状感じるのって初めてだよね、腹部の動脈瘤の部分じゃない、出血してたりして」

「ハハハ、それでもいいよ、成るようになる」
私と父の合言葉です。
この言葉は、何があっても後悔しないことを感じさせてくれる私へのパワーワードです。

実際それ以上の症状はなく、就寝準備が完了し、アイスクリームを食べて落ち着いています。
0:30父をみると少し寝巻きの胸をはたけて寝ています。
「パパ、しんどくない?」

「いつものことや、大丈夫」

「そう、血圧だけ測らせて」
127/78を見て、帰宅の途につきました。

後から聞くと、日中囲碁でも「少し胸が痛い」とのことだったそうです。
ただ、胸の痛みは、1年くらい前から時々、数十秒出ては収まる症状でした。
同じく、囲碁からの帰宅途中の車の中でも、少し背中が痛いと後部座席で横になっていたそうです。
母いわく、確かにいつも背筋をピンと伸ばして乗っている父にしては、珍しいと思ったようです。
しかし帰宅後、散歩に行くと言ってくれたので、安心したようです。
父はしんどいと思った日は、散歩を取りやめます。
そのため、この日は調子が悪かったことに気づかなかったということです。

逆算したら間に合う

帰宅後すぐ、1:13に母から電話がありました。

「パパがさっきから痛みが出てきたって言ってる」
「5分ほど様子をみたけど、ニトロも飲ませたけど、変わらない」

「痛みが脇腹に移動しているみたい」
「まだ我慢はできるみたい」
「ルミちゃん、どうしよう、病院に連れていく?」

かつても同じようなシーンがありました。
膀胱内の出血がひどくなり、このままだと詰まると判断し、夜間救急へ連れて行ったことがあります。
その時私は、救急車を要請するほどの緊急性は無いと判断し、自家用車で出向いたのです。
しかし、その時と今回は明らかに違います。

「ママ、救急車呼んで、○○病院ね」

「救急車にするのね?わかった」

「私もすぐに戻る」
私は再度、車で、実家までの25分を走りました。
○○病院に行くには、同じ道を通ることになります。
すれ違うことも考えて、LINE電話を繋げたまま家の様子を把握し運転しました。

痛みのピークを見る

LINE画面を通して様子がわかります。
私が家へ着く10分前くらいのところで、救急隊が到着されました。
救急隊の落ち着いた声が、母を冷静にさせます。

私の方はというと、移動中に救急車がすれ違いました。
当然別の救急車です。
LINEが繋がってなかったら、父親の救急車だと誤解してただろう絶妙なタイミングです。
改めて、様子が分かる、先が見えることが、混乱や誤解を防止するなと実感しました。

自宅へ到着、父はすでに救急車へ乗り込んでいます。
父の様子を確認した時に、救急車へ同乗した方が良いと判断し、2人とも乗り込むことにしました。

痛みのピークを10とした時、8と10を行ったり来たり。
10が続くと、激痛です。
「痛い・痛い・痛い」
顔面蒼白、脂汗が滲みでています。

こんなに痛がるものだと目の当たりにする私です。
「パパ、大丈夫」
「ここね、もうちょっとだからね、痛いね」
私は、走る救急車で立ったまま、父に覆い被さるように、両手で痛みの部分を抑えます。

少しでも気が散るようにと。
「パパ、ここね、押さえるよ」
父の痛みが伝わってくるがごとく、私の手に力が入ります。

【続き 第8回 その時がやってたき】