テーマ2 パパの介護

【第18回 心を寄せてくださった方々への挨拶:弔辞】

弔辞の抜粋

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父を一言で表すなら、自身の生き様に「美学」をたずえた人でした。
決めたことを貫き通す信念や強さ、他者への思いやりこそが、父の誇りであったのだと思います。
何を決めるのも、父の中には正義があり、それはブレることなく、とてもシンプルでわかりやすいものでした。
そんな父に、私自身が迷った時、数えきれないほど助けられたものです。

今から30年前、父が57歳の時に心筋梗塞を発症しました。
心筋梗塞2回、胸部大動脈瘤2回、腹部大動脈瘤2回を経て、3年前の手術で下半身麻痺の後遺症が残りました。
医師からは、次は手術ができないこと、動脈瘤は大きくなってきていること、長くて2年であることは告げられておりました。父はいつでも死を覚悟していたのです。

世間の人は、要介護4と聞くと、「介護が必要な人」という一括りに捉えがちです。
でも父を見ていると、ありのままの自分を受け止め、隠すことも、かざることもせず、周りの人の好意に甘え感謝し、より一層のつながりが高まる様子を見ていると、父の信じ歩んできた道は、「豊かさ」に満ちているなと実感します。

父の人生は、〇〇株式会社の代表取締役として55年間をベースとしたものです。
最後に残った仕事についても、亡くなる2日前に仕事の関係者へ電話し、迷惑をかけないように、やり切っていました。

仕事と平行し、父には複数の顔がありました。
ふるさとを大切に思う父は大阪新温泉町会会長として14年間、地元〇〇市と新温泉町を繋ぐ工夫に日夜取り組んでいました。
また、この〇〇市の発展を心から信じていた者の一人です。

さらに、高校同窓会として〇〇会会長として20年間、新温泉町観光大使としての長きにわたる活動も、同じく郷土愛に導かれた活動です。
父にとって、「ふるさと」や「地元〇〇市」の存在は、父そのものだったのだと思います。

地元といえば、地域です。
地域の自治会の会長として30年間活動させていただき、その繋がりは、まさにこの2日間で体感しました。
60名以上の地域の方が自宅へ立ち寄ってくださり、中には、午前、午後、もしくは2日に渡り、会長顔を見に来たよと訪問くださいます。
それぞれのお気持ちを父に語りかけ、顔に触れてくださる姿を見て、父が残した繋がり、唯一無二の自治会だと思いました。

父の生きる楽しみといえば、囲碁クラブの仲間との豊かな時間でした。
月〜土曜日、365日かかすことなく通わせていただきました。
囲碁では、動けない父を皆さんがサポートしてくれるのです。
トイレにいけない父を助けてくれる人もいます。
何よりもその雰囲気を築いてくださったのは、囲碁サロン〇〇の〇〇先生です。
先生は、父が喜ぶことを実行することこそがモチベーションだと言い切ってくださいました。
父が、救急搬送後も「もう囲碁に行けないのか?」と私に確認するのです。
この世に名ごり惜しいものがあるとしたら、それは囲碁サロン〇〇です。

そしてそれを可能にしてくれたのは、まさに母の存在です。
自宅での介護と囲碁サロンへの送迎を引き受けてくれました。
最期まで父が父らしく過ごせた立役者です。

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【続き 第19回 介護サービス以上のサービス】