テーマ2 パパの介護

【第16回 満足感に満ちたお葬儀(前半)】

母の選択

近所の方々とは、納得のいくお別れができました。

次はお通夜・葬儀です。
各日とも50人ほどを予定しておりました。

会場は母が自分で見に行って、ここが良いなと思っていたところです。
病院へのお迎えから、最後のお支払いに至るまで、微に入り細に入り配慮くださった関係者の皆様でした。

設備、サービスと価格のバランスなど申し分ありません。
私ども家族に気を遣わせるシーンが一度もありません。
これがとても楽でした。

お花は葬儀っぽくせず明るいピンクで、祭壇も自然で華やかに、父の映像を流したいなど。
私どものオーダーを全て叶えてくれます。
それを全て、とても大切な行為「コト」として、取り扱ってくださるのです。

幾度となく葬儀の手配をしてきた私ですが、私の葬儀への拘りは湯灌(ゆかん)です。
湯灌とは、棺に納める故人の身体を清める儀式のことです。
衛生的に綺麗にするだけではなく、この世から清らかに旅立つ儀式となります。
通常オプションで追加するケースが多いですが、今回のプランには入っていました。

お湯灌

私にとって湯灌は、故人との最後の共通感覚を感じれるひと時です。
病院で体を拭くのとは、違うものです。
棺桶に入る前の儀式となります。

伝統的な湯灌は、映画「おくりびと」に出てくる儀式です。
清拭で清め仕上げていきます。

近年の湯灌は、持ち込み式のバスを持参し、故人の身体を洗います。
父の場合、タオルで身体を覆い、タオルの下から、石鹸で体の隅々まで洗います。
シャンプーで洗髪し、石鹸で洗顔し、パックで水分をキープします。
爪を切り、髭をそり、点滴跡はちゃんと治療してくれます。

見ている者も本当に気持ちが良くなってきます。
そして故人の気持ちが分かるのです。
「気持ち良いよね」
自然に私たちの気持ちが浄化されていくのです。

おばあちゃんの時もそうでした。
オーダーしていたはずの湯灌が手違いで手配されていませんでした。
周囲が諦めようという中、私はどうしてもやって欲しいと訴えました。
私は後悔したくなかったので、駄々をこねたのです。
あえて空気を読まないように振る舞い「サ・我がまま」を通しました。
それほど湯灌は、私にとって送り出す上での大切な儀式なのです。

【続き 第17回 満足に満ちたお葬儀(後半)】