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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
お通夜、葬儀までの2泊3日、自宅に帰ってきました。
「おかえりなさい」
いつものように、いつものところで、寝ている父。
本当に寝ていると錯覚するほど、いつもの父の表情です。
「こんなにも穏やかな表情をされている、井上さんらしい」
病院での最後に、主治医の〇〇先生がおっしゃってくださっていました。
時間帯が遅く、死亡診断は当直の先生がされました。
それでも、〇〇先生は、病院に再来院してくださり、父と私達を最後まで見送ってくださったのです。
父が絶大なる信頼を置いていた先生です。
看護師の方々もしかり、病気だけでなく、家族の心のケアに至るまで、感謝の気持ちで一杯です。
「〇〇病院が良い」父の口癖でした。
通院に1時間かけてでも、この病院から頂く安心は何にも代えがたいものでした。
今思うと、母が父を連れて帰りたいと言ってくれたことに感謝です。
それは私の想像をはるかに超えた出来事でした。
母が自治会の方へ回覧をお願いしました。
↓
令和6年5月29日、満87歳にて逝去いたしました。
長い間、地域の皆様に本当にお世話になりました。
故人も3年前より不自由な体になり、散歩の折にも皆様からのやさしく、心温まる声をかけていただいたこと、車でのご迷惑も配慮していただいたこと、常々話しておりました。
本当に感謝しかありません。
今朝から自宅に安置しておりますので、ご都合がつけば、自宅を開放しておりますので、見てやってください。
母だけが分かる、父の気持ち、近所の方々の気持ちの架け橋です。
引退しましたが、父は30年間自治会長でした。
ピンポンとインターフォンが鳴ります。
「会長に会いに来たよ」
近隣の方々が、3人、4人と訪れてくださいました。
気軽に次々と訪問してくださいます。
「会長ありがとうね」
「会長目覚めそうね」
「あっちのことも教えてね」
「顔に触ってもいい?、いいね」
「いい顔色しているね」
まさに、次々です。
多い人は3度、4度、2日間、3日間に渡り「また来たよ」と言ってくれます。
2日目、私が母と交代しようと戻ると母はいません。
近所のおばしゃん達が3人父の前で談笑です。
「おかえり」
「お母さん出かけてるよ」
総勢60人以上の方が立ち寄ってくさり、出棺時も20人以上の方が見送ってくださいました。
まさに、地域の絆です。
義理でもパフォマンスでもなく、まるで大きな家族を見るようです。
父が愛した地域、確かにこの目で確認しました。
夕方4時過ぎ、病室は2人きり。
努力呼吸が続くので、口腔の乾燥を気にかけつつ、用事をしていました。
しかし、ふと、もうダメかな、深い眠りに入っているしなと思いつつ、父に話しかけてみたくなりました。
「パパ、分かるルミ子だよ」
すると、父が目を開けてくれたのです。
見えているのか?焦点は合っていなかったように感じました。
見えてない中で、私の声を頼りに眼球が追っかけている、そんな印象でした。
「パパ、ルミ子はパパの子供で本当に良かったよ、ありがとうね」
すると、満面の笑顔で反応してくれたのです。
目じりを下げ、口元が上がり、それはそれは最大級の笑顔です。
思わず号泣してしまいました。
最期の力を振り絞ってくれたのです。
しばらく2人だけの時間を過ごした後、妹が戻ってきました。
私は、今の奇跡の話をして、妹と2人だけにして、居室を出ました。
やはり妹も、同じように満面の笑顔だったと泣きながら話してくれました。
次に母が戻ってきたので、2人で退室しました。
夫婦の最期の時間、母なりに語り掛けた後、2人の若いころの流行りの音楽をかけて過ごしていました。
それ以降、父が目を開けることはありませんでした。
血圧が低下、酸素が測れず、努力呼吸が続きます。
夜7時過ぎ、努力呼吸が下顎呼吸に変わってきたようでした。
それでも、手を持つと、僅かに指先が曲がります。
小さな、小さな反応です。
7時半過ぎ、心拍数が低下してきたので、看護師の方々が訪室されました。
少し音がしますが、ベッドサイドモニターを付けても良いですかと聞かれました。
モニターの心電図は、平らな波形でツ—————————————、波形ピコン。20秒くらいに一回です。
装着後数分で、波形が平らになりました。
同時に下顎呼吸が止まりましたが、最期に舌が、ピクピクと僅かに動き止まりました。
家族が見守る中での旅立ちでした。
私は、一生分のありがとうを伝えられたでしょうか。
「よくやってくれた」
そう言ってくれた父の声が私を支えてくれています。
母も妹も帰り、私との時間に切り替わりました。
たわいもない会話が、これほど大切に思えたことはありません。
痛みもありません。
夜9時すぎ。
今までなら、父をシャワーへ入れていた日常の時間帯です。
場面は違いますが、娘と父との会話が続きます。
「私、自分の晩御飯を買ってくるね」
「そうか」
「すぐに戻ってくるね」
「そうしてくれ」
「新聞でも読んでてね」
15分後に戻りました。
「ただいま」
「あれ、寿司を買ってきたのに、ワサビと醤油をもらい忘れた」
「ちょっと、もらってくる」
再度外出し、10分後に戻りました。
すると、父が言うのです。
「アイス食べようかな」
「え?食べれるの?」
「うん、アイス食べてもええな」
父の毎晩のルーティンである、アイスを食べたいと言ってくれたのです。
「じゃあ、買ってくるね」
10分後に戻って、そうそう食べ始めました。
ガリガリガリ
「本当にガリガリ君やな」
「ん?」
「いや、何でもない」
「おいしい?」
「うん」
ガリガリガリ
喉が詰まることもなく、ゆっくりとしっかりと食べるのです。
そのシーンを家族へビデオ配信すると、皆が喜んでくれました。
半分程食べて終了。
歯を磨いて、うがいして、身支度を整えて就寝です。
「パパ、おやすみ」
「おやすみ」
早朝、6時過ぎ、看護師の方の巡回です。
どうやら自動血圧計で血圧が測れないようです。
手動に切り替え測ると60/、酸素95%です。
先の2日間の夜と違い、私が一晩起こされることはありませんでした。
普通に寝ているようで、良く寝ているなっといった感じでした。
呼びかけると、覚醒して反応してくれます。
血圧が低いので寝たままで、足元のギャッジアップをしました。
いつものように、頭を洗い、髭をそります。
同時に、妹と母に早めにくるようにメールをしました。
昨日までの尿量は800CCほどでしたが、今は200CCほどに減少。
鎮静剤の影響で、呼吸機能はじめ、その他の機能の抑制が出てきています。
8時ごろには、眠りが深くなり、努力呼吸が始まりました。
酸素は96%です。
10時すぎに、妹と母が到着します。
父の努力呼吸が続きます。
「はぁ」
「はぁ」
「はぁ」
3~4秒に一回ごとに繰り返します。
「パパ」と声をかけると、目を開けてくれます。
しばらく見つめて、また閉じるのです。
私達は、いつものように家族としての大切な時間を過ごします。
口が乾くので、30、40分おきに、スポンジで口腔を水で潤します。
歯茎に這わせると、気持ちがよさそうです。
こまめに唇へワセリンを塗ります。
口の中を綺麗にしようと「お口開けて」と言うと、大きく口を開けてくれます。
「すごい」
と思ったものの、今度は口を閉めてくれません。
大きく開けっぱなしです。
「パパ、もういいよ、閉めて」
「お~い、パパ、もういいよ、閉めて」
それでも大きく口を開け続けるのです。
下あごを抑えても閉めてくれないので、髭の電気カミソリを当てると口が閉じたのです。
身体が覚えている手続き記憶です。
その後、私が部屋に戻ってきた時、ちょうど妹が口の中を洗ってあげようとしていました。
「パパ、お口開けて」
パクっと、大きく口を開けてくれます。
やはり、口を閉めてくれません。
大きく口を開け続けるのです。
「パパ、もういいよ、閉めよ~」と。
私たちに最期の笑いを共有してくれるのです。
新幹線に乗っている間に、妹が昨夜の痛みの様子を知らせてくれました。
「昨夜は1度大きな痛みが出たかな」
「寝返りを結構繰り返すので、だるいようなしんどいような感じかな」
9:00台
「パパが昨日の仕事の話をどこからどこまでしたか、お姉ちゃんと確認したいって」
妹が中継してくれ、電話で父と話します。
「大丈夫、昨日全て手配してくれたよ」
しばらくすると「もう一回確認したいって」
秒単位で私の行動が知りたい様子です。
「いつもの自分とは違うくらいくどいけど、神経質になってるから」
と父が言うそうです。
「今日の予定を分かるだけ知っておきたいらしい」
「さっきより意識がしっかりしてきている」
私が今日の予定をメールですると、妹が父へ伝えてくれます。
10:00台
妹より
シャンプーして身支度整え終えたところに丁度、〇〇先生が訪室。
その後、新聞を買って読んでいたところに看護師さん訪室。
父は、〇〇先生に自分の予定を質問したそうです。
「今日までか、明日までか?」
〇〇先生が答えてくれます。
「今日かもしれないし、明日かもしれないと。痛みは取り除くようにしますねと」
あきらかに私を待ってくれています。
同時に、明日までもたないと判断した私は、仕事のスケジュールを変更しました。
この時の状態
早朝体温は37.5度が36.5度に落ち着き、血圧は118/ が135/で降圧剤続行。
喉が渇き、痰の粘稠度も強いので点滴の生食を増量。
13:00台
父は少し眠ったあと、妹が口腔をスポンジと歯磨き粉で洗い、本人がうがいをしました。
声をかけてみたが、アイスはいらないとのことでした。
痛みがきたので、痛み止めをショット。
16:00台
「あれから大きな痛みはなくて、エアマットへ交換し、水飲み⇒吐き⇒口を洗いを繰り返しながら、夕刊を買ってきて欲しいと頼まれたところ」
「私からのメッセージ(夕方4時には出発して大阪へ戻るのは7時)はこうやったなと、ハッキリ記憶しているよ」
「今、何時や?4時か?じゃ話せるな」
時間を何度も確認していたそうです。
17:00
痛み止めをショット
17:30
痛み止めをショット
「まだ痛そうで、看護師の方がセデーション(鎮静)の準備をしにいってくれた」
「太ももの皮下から打つのでそんなにドローっとはなりにくいと」
18:00
「セデーションが今始まった、意識は、しっかりしているよ」
セデーションとは、鎮静剤や鎮痛剤を使用して、意識レベルや痛みの感じ具合を低下させる処置をいいます。
死に至るまで持続的に意識レベルを下げ、死に伴う痛みや苦痛を避けていきます。
持続点滴としてミダゾラムが開始されました。
18:30
「今、起こしておくために清拭してあげてる」
「ちゃんと起こしているよ」
妹が中継してくれるので、落ち着いて向かえます。
19:00
病室へ到着
「パパ、ただいま」
「お~、戻ってきたか、仕事はちゃんとやったか」
「うん、終えて帰ってきたよ」
「今晩は泊まるね、明日も一緒にるよ」
「そっかぁ、ご苦労」
そう言った父の顔が、とても安心した表情になりました。
父として、娘を待つ最期の踏ん張りを見せてくれたのです。