テーマ1 ママの医療
【第26回】パパはすごかったね
ほんま悪いことしたわ
「寝てるって辛いわ」
「私はパパみたいに頑張れない」
ふと、母が天井を見ながら、5月に亡くなった父のことを振り返ります。
自分の体が動かないことが、こんなにもどかしいとは、思っていなかったと呟きます。
本日で放射線治療3回目、副作用の症状が出てきて昨日からやる気がでず体がしんどいのです。
ご飯も食べたくない、病院の食事は美味しくないと言います。
リハビリ後のぐったり感は、確かに副作用を思わせます。
「こんな状態でもパパは毎日動いてたもんね」
「いや、本当にすごい人やと思う」
「そうやんね」
「いつも夕方は散歩に行ってたしね」
世間的には、一人で歩かせるのは危ないと評価を受けるレベルの父でした。
それでも誰かがついていかなければいけないと、気を使うし毎日という訳にはいきません。
歩けなくならないように、毎日毎日近所の向こうに散歩に行っていた父でしした。
「私自分がこんな風になると思ってなかった」
「なってみてわかるわ」
「そうやね」
「パパがよく言ってたでしょう、なってみた人にしかわからんのや、そう急がせるなと」
母がふと笑います。
「ほんま、悪いことしたわ」
パパみたいに死ねるんかな
「あの人よう頑張ったよね、最後の最後まで」
「パパみたいに死ねるんかな」
「パパみたいな死に方をしたい」
「もう生きることに未練はないからね」
「以前はもっと生きようと思ってたけど、今はそうでもない」
「ん〜」
父は宣告されていた大動脈解離がおこり、5日後に亡くなったのなです。
「ルミ子、もう十分や」
「お前はよくやってれた」
今も父のその言葉を思い出すたびに、母との時間も後悔がないようにしたいのです。
「私もパパのように・・・」
激変した自分の現状にしみじみそう言うのです。
母の望み
今、母ののぞみは、最後に残された時間、それを家族と過ごすことだと思います。
昨日病院からは、次の生活についての話がありました。
5日間の治療が終了し、体調が戻ればこの病院での入院理由は無くなります。
今回の治療評価は、一月後のMRI検査のため、それまで、特別な治療をすることはありません。
体調が戻れば、12月中旬には退院を迎えることになります。
「在宅へ戻られることを検討されているとのこと、一人になる時もあると伺っています。」
「関係者で、今のお母様のレベルを考えてみました。」
「退院後は、リハビリ病院や施設という選択肢もありますがどうお考えでしょうか。」
母は、何も言わずに頷いています。
何も言わないのではなく、言えないのです。
在宅に戻りたいとは言えない母。
それは、一人でできないことを痛感しているからです。
自信がありますか?と聞かれたら、答えは「ない」でしょう。
つくづく自信とは、周りが作っているのだと実感します。
在宅に戻りたい、でも夜一人になるのは不安、だから選びきれない、これが本音だと思います。
今の母は、右腕が全く動きません。右の足も非常に不安定です。
少しづつ、動けなくなっていくことも自覚しています。
この状態で、リスクに立ち向かえる人はいないでしょう。
一方、しんどい治療の選択をしたのは、在宅へ戻り、家族との時間が待っているからです。
自宅の庭を見て、自分を感じたいからです。
「家族としては、在宅介護を希望します」
「そのための準備に入りたいと思ってます」
私の返事でした。
私のこの言葉が、父の時と同じように、最後まで母らしい人生に繋がればと思います。
なぜなら、娘たちの父への介護は、そばで見ていた母が感心するほどです。
「ママ、やること、工夫することいっぱいあるよ」
いよいよ、私の出番です。