テーマ1 ママの医療
【第41回】心を寄せてくださった方々への挨拶:弔辞
弔辞の抜粋
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12月13日に退院し、1月2日までの21日間、60年近く住み慣れた自宅で最期を迎えました。
昨日までに、30人近い近所の方が弔問下さり、出棺を見送って頂きました。
その際、母との思い出話しを伺い、地域とともに井上家が形作られ、まさに私ども娘たちが地域の皆様に育てて頂いていたことを、改めて実感した次第です。
地域の繋がりが薄くなりがちな昨今ですが、まずは、○○自治会の皆様の温かいお心遣いに感謝申し上げます。
昨年3月、メラノーマという特殊なガンが、母の全身に転移していることを知りました。
元気で全く自覚症状がないだけに、本人の戸惑いはたとえようがなかったと思います。
昨日の通夜にご参列の皆様が抱かれていた、生前の母の印象も健康そのものだったようです。
それはまさに、私ども家族も同様です。
倒れるギリギリまで水泳に通い、毎週英語のレッスンを欠かしませんでした。
本人にとっては、これだけ元気なのに、死を確実に宣告されている状況です。
家族と離れるのが嫌だと本音を明かしてくれ、残される私達も同じだけ辛いことを打ち明けると、母は一つの答えを見つけたように、 自分らしく生きようと切り替えてくれました。
まさにその瞬間から「生き様」を、私ども家族に身をもって教え伝えてくれたのです。
そんな、母の「母らしさ」を、少しだけ触れさせてください。
それは、あらゆることに「感謝すること」と、そこで感じた素直な気持ちを言葉にして人に伝えることが大切だということ、これが母の教えでした。
その教えは、私たちが小さい頃から一貫しておりましたが、それを垣間見たのが今回の母の入院中です。
放射線療法の治療を受け、食事も水も一切受け付けない身体になっても、お世話をくださる看護師やリハビリの関係者の方々のお名前を書き残してほしいと再三言われました。
ちゃんとお礼状を書きたいと、つぶやくのです。
まさに母らしいと思った瞬間でした。
こうして母は自分で縁を導き、たくさんの方々と親しくさせていただき、自ら繋がりを紡いできたのだと思います。
母の携帯には、かつての職場やスポーツジムのお仲間、趣味で知り合った方々、旅行で出会った方、近所の方、バスの中で親しくなった方に至るまで、多くの方から新年の言葉が送られていました。
どの方も母とともに良き時間を過ごしてくださった心の仲間であり、改めて感謝申し上げます。
当初病気が発覚した時、父の介護の中心にいた母は、自分のことより残されるかもしれない父を気遣っていました。
家族思いの母は、病床でも料理番組を見ながら「退院したら作ってあげるね」と言ってくれるのです。
母の作る「おから」は我が家の秘伝の料理なのですが、今はそれを再現できるかが、私ども娘たちに残された宿題です。
孫の成長の一番の応援者も母でした。
自分の料理の味を受け継いでくれた孫は昨年結婚し、アイデアが豊かで様々なことにチャレンジする孫を自慢とし、それぞれの良さを見抜き全力で向き合う母でした。
孫が友達のように慕うはずです。
本日の母のメイクも、生前の母を蘇らせようと、孫たちが仕上げてくれました。
私ども娘にとって“元気だった母との別れ”という、例えようのない寂しさから救ってくれたのも、母が持つ天性の好奇心です。
病気の進行が早く、 楽しみにしていたクルージング旅行の日程を繰り上げ、11月5日に出発し、最初の3日間は夢のように充実した時間でした。
結果旅行中に救急搬送されたわけですが、途中で倒れてもクルージングに行けて良かったと、写真を眺めて何度も語ってくれました。
さらに「年末年始に婿がホテルを予約してくれた、絶対に行きたい」と意識がもうろうとする中、看護師に生きる次の目標を話すのです。
最後まで、全力で生き切ることを体現してみせてくれたのは、残される家族に後悔をさせない母の生き様です。
最期は、自宅の大好きな庭を眺めながら、家族の談笑に包まれ、ノンアルコールビールで喉越しを楽しみ、息を引き取るその瞬間を母のいとこと家族一同で見送ることが出来ました。
先生いわく、在宅介護でも、その瞬間に立ち会えるのは非常に珍しいとのことです。
瞼を閉じ、皆様との沢山の蘇る思い出を胸に、旅立ちました。
昨年5月父が他界し、この度は母です。
その二人が残してくれたものは、父の兄弟・親戚一同の絆の深さです。
母が、「あなた達に残していく財産だから大切にしなさい」 と言ってくれました。
これからもよろしくお願いします。
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