テーマ1 ママの医療

【第39回】母が描いた・母らしい葬儀(前半)

母を真似て

実は、昨年5月に父が亡くなったばかりです。
その時に母が取った数々の行動をそのまま再現していこうと思いました。

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当時母は、父をどうしても一度自宅に連れて帰りたいと希望しました。
動脈瘤に亀裂が生じ、緊急入院して5日後に旅たった父でした。

”長年住んだ地域の方とお別れがしたいだろう”、母が想像した父の心境です。
帰宅後に母は、近所の方に向け回覧を作りました。

そこには、父がひと時戻ってきたこと、気軽にのぞいて欲しい旨が書かれています。
その結果は、パパの介護【第15回 地域の皆様との「絆」】に書いた通りです。

母は、1月2日に亡くなりました。
葬儀担当者は、最短で3日通夜、4日の葬儀日程が可能だと言ってくれました。
葬儀を組む上で、ボトルネックになるのは火葬場の利用状況です。

しかし私は、4日通夜、5日葬儀を希望しました。
翌日3日は、1日ゆっくりと近所の方にいらしていただきたかったのです。

母が作成した文面を再現し、近所に回覧しました。
結果、近所の親しい方が次々と訪れてくれます。
顔をなで、涙し、思い出話を語ってくれます。
中には、何十年前に引っ越してきた時から世話になったと、泣いて教えてくれます。

訪問くださったみなさんが、口を揃えて驚かれたことがあります。
「あれ綺麗なお母さんね」
「生前と変わらないやん、生きているみたい」
と言ってくれます。

実は前夜遅くに、孫たちとメイクやウィッグにメッシュを入れ、服装も母が気に入って着ていた衣装に着替えさせていたのです。
きっと母が望んでいるだろうことを実現しました。

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葬儀会館は、父と同じところを選択しました。
父が亡くなる前に、母が自分で見学に行って決めていたところでした。
パパの介護【第16回17回 満足感に満ちた葬儀(前半・後半)】に書いた通りです。

当時の心のこもった対応は今でも忘れていません。
そのため、一般に抱きやすい、葬儀会社に対する不安はありませんでした。
それだけでも、今回喪主を務める私にとっては救いです。

母が最初に会場を決めた理由がいくつかあります。
①近所であること
②外観も葬儀会場らしくないこと
③内装も新しく綺麗であること
④家族も宿泊し一晩一緒に父を偲べそうなこと

父の時と同じ、親戚と会場に宿泊しアルコールを飲みながら語り合いました。
そこは、母と私たちだけの空間です。

「そういえば、父の葬儀の夜に宿泊したメンバーって誰だった?」

「もう一人いたよね」

「うん、いたね」

「誰だっけ?」

「あなたのお母さんやん」

そう、母はほんの7か月前、ここで一緒に飲み、偲んでいた側にいたのです。
今はその母が、祭壇の前で寝ています。
思い浮かべた思考の空間に母はいなかったのです。

私はこれを認識した瞬間に、時空を行き来する複雑な気持ちになりました。
そうです。
あの時、この場で、母も私もここまでの想像が出来ていませんでした。
私の時はね・・・と冗談を言う母を交わす程度、まだ自分たち事ではなかったのです。

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葬儀の打ち合わせでは、一言「父と同じコースにしてください」でした。
コースを選んだのも母です。

祭壇の花は、できるだけ華やかに、葬儀らしくならないようにと伝えました。
母が言った通りの言葉に加え、母が常に葬儀色の強いお花は好きではない、もっと明るく華やかな方が良いと言っていたことを伝えました。
結果、父よりもより女性らしく華やかに仕上げてくださいました。
参列者が、お花が綺麗、この方がいいねとおっしゃられていました。

フォトフレームの色は白、棺の柄も白地の刺繍、骨壷は小サイズ。
写真は父の遺影にもなったペア写真、母が生前から自身が気に入ってた写真です。
何もかも父の葬儀に真似て進めるだけです。

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父の時に実施した、湯灌の儀式も母が経験し感じた通りです。
「湯灌っていいね」
「気持ちが洗われるようやわ」
「やって良かった、お父さん気持ちよさそう」

この母の言葉を思い出しながら、湯灌の儀式を見ていました。
きっと納得してくれていると思います。

一つだけ父と違うのは、湯灌後のメイクへのこだわりです。
メイクは自分たちでやりたいこと、時間がかかるだろうことを伝えていましたが、結果は1時間15分かかりました。

肌の色も綺麗、目の下も窪んでいない、ヘアスタイルはメッシュを強調し、かなり母らしくなってきました。
ただ一つ気になる点は、時間の経過と共に、口元が開くのです。

良く見ていると、首の角度で顔の表情も変わります。
棺に横たわるのに、少し高い枕が設定されているのです。
そのため、私たちは母の肩の下にバスタオルなどを敷いて胸と同じ高さにします。

それでも納得できる仕上がりではありません。
生前の母ではない、ああだの、こうだの・・・
口紅を塗っては取り、輪郭を広げてみたりと・・・・

同じく、湯灌担当の方にも、綿を活用いただき工夫を重ねます。
そして、最後に思いついた奥の手で、生前の母の表情を取り戻しました。

これは、母には最期まで綺麗でいて欲しいと願う娘と孫たちの共同作業です。
最後までお湯灌の担当者の方が私どもに寄り添っていただけたことに感謝します。

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参列のお返しの中に入れる「感謝の言葉」も手作りです。
葬儀のパッケージの一つに、インタビューし文面作成までのサービスがあります。
しかし父の時に、私がインタビューを受け出来上がった内容を読んで、しっくりこないと言いました。

母は、葬儀らしすぎる、極端な文章は必要ないとのことでした。
もっと自分のことばで、平易で素直に表現したいと自ら全て書き直しました。
その経験があったので、今回はインタビューを受けず、私が内容を作成しました。

「感謝の言葉」
・・・(省略)
長い間、地域・自治会はじめ、プライベートでご縁を頂いた皆様には本当にお世話になりました。故人は私達家族にとっても太陽のように明るく、我が家の象徴でした。「井上さんの笑顔が素敵」とおっしゃって下さる方も少なくなく、自慢の母でした。母の教えは「感謝する心」です。いつも関わりのある皆様との時間を尊いと申しておりました。この教えは孫にも引き継がれ、我が家の信念として延々に続いていくことでしょう。
病気と向き合い懸命に生き切る選択をした母は、旅先で急変するまで走り切った人生でした。最期の2週間は、自宅の大好きな庭を眺め、医療・介護サービスに支えられ、家族一同が見守る中、静かに目を閉じました。私どもは今、全てのコトや人にお礼を言いたい、そんな気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
・・・(省略)

母はこれで納得してくれているでしょうか。

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父の葬儀中は、生まれ故郷からお声がかかり、父が「ふるさとについて」語った講演ビデオを流しました。
それを見た母が、参列者が立ち止まり、会話になり、父のことが伝わって嬉しいと言ってたのを思い出します。

母については、孫がたくさんの旅行写真やショートムービーを繋いだビデオを流してくれました。

やはり、そこには人が立ち止まり、母の新たな一面を語ってくださる方々がいました。
倒れる直前までの楽しそうなクルージング旅行の写真を見て、皆さん想像がつかない、行けて良かったねとおっしゃってくださいました。

続きは後半へ

【第40回】母が描いた・母らしい葬儀(後半)