テーマ1 ママの医療

【第38回】最期を家族みんなで見届けた

ここ一番の体調

元旦の朝、いつものように訪問看護師が点滴更新に来てくれました。
体温37.2度、血圧120代、SPO297%。

「体調落ちついていますね」
「胸の音も穏やかです」
「酸素も必要ないかもしれませんよ、少し取ってみましょう」
この日は、ルームエア5分後でも、SPO2は98%で安定していたのです。

「ここ最近で一番落ち着いている状態です」

何とも嬉しい一言でした。

恒例の1月1日のイベント

昼に向けて食事の準備が始まっています。
孫夫婦、妹夫婦がやってきます。
とりあえずお墓参りに行きます。

「ママ、行ってくるね」
その間、いとこの方がテーブルセッティングをしてくれます。

昼になり元旦の食事会が始まりました。
まずはシャンパンで父に献杯、母に乾杯です。
アルコールが好きだった母には、スプーンで口にシャンパンを含ませます。

「どう」
「ママ、シャンパンだよ」

30畳ほどのリビングに母のベッドがあり、同じく祝いのテーブルがあり、そこに親族一同8人が集いワイワイガヤガヤしています。
この声が聞こえてないはずはありません。

こんなにいつもの日常の風景が尊いと感じたことはありません。

夕方から急変

19:00
呼吸が荒くなり体温を測ると38.9度、早々カロナール坐薬400mgを使います。
SPO2は88%とダウン、酸素流量を1.5Lから3Lへ上げて98%を維持します。

19:30
体温38.3度、しんどそうなので約1本分のアンペック坐薬を挿入します。

20:10
酸素の流量を4Lに上げて体内の酸素濃度を維持します。

21:00
酸素流量を4.5Lへ。

21:30
血圧81/41

23:00
血圧60/40
血圧が下がってきたので、訪問看護師へ状況を伝える電話を入れておきます。
「血圧が下がってきています」
「肩呼吸が大きくなってきています」
「今晩か明日か、またご連絡させていただきます」

家族がベッドを囲み、それぞれが声をかけます。
手を握ると握り返します。

「スースー(母の愛称)、聞こえてる?」
誰が見ても、しんどそうです。
誰も離れたくないようです。

1月2日
1:00
血圧63/47、SPO293%、酸素流量5L

2:00
血圧69/44、再度緑色嘔吐ありましたが、それ以上の変化ありません。
みんなへ、おそらくここ数時間で変化はないだろうから一旦寝るように伝えました。
近くの家族は家に戻り、全員が睡眠を取ることにしました。

6:30
血圧85/53、酸素98%。
遠方の家族は、この数値を確認後、一旦戻り身支度をして、再度全員が集合したのが11時くらいでした。

10:00
訪問看護、体温38.4度、血圧94/64、SPO293%。
すでに下顎呼吸が始まっており、点滴の継続判断について相談がありました。
妹は、少しでも入れてあげたい気持ちはあったようです。

そこで私は、排尿の有無の確認を提案しました
毎回尿量が認められていたパットは全く濡れていませんでした。
既に14時間、昨日の急変から腎臓の働きが止まっています。
妹も納得し、留置針も抜きました。
体にむくみのない、綺麗な状態です。

最期の瞬間

13:00
状態に変化はありません。
各々の家族が横になり、起きているのは私を含め2名だけです。
血圧88/60、SPO290%、脈拍125回、体温36.0度。

「この状態で安心していると呼吸が止まっても気づかない時があるの」
「だから、この段階になると、15分、30分おきに見ないと見逃してしまうかも」

そんな会話をしながら、口腔ケアをしていたのです。
最初は口腔ケアのスポンジを噛んでました。
「ママ、噛まないでね」
「朝から目を開けてるけど閉じていいよ、乾燥するよ」
点眼し目を閉じようと試みますが、閉じません。

そんなやりとりをしている間に、ふと、急に呼吸が止まったのです。
え?止まった?
さっきまで、しっかりと血圧があったのにまさかそんなはずは・・・私の内心です。
そう思った後に、再び大きな呼吸が始まりました。

「呼吸が止まるから、みんなを呼んで!」

2階から降りてくる家族のスピードがこれほど遅く感じたことはありません。
思わず、階段下に駆け寄り叫びます。
「○○ちゃん、早く降りてきて、呼吸が止まる」

そう、私はどうしても孫の○○ちゃんに、最期の瞬間に立ち会わせたかったです。
父親の時も遠方にいて間に合わずスマホ中継に終わったからです。

全員がベッド周辺に集まりました。
母の呼吸は、数秒ごとに現れ数回繰り返されました。

「スース」
「ママ」
「手を握って」
それぞれが精一杯声をかけます。

13:40
最後の呼吸をした後、あれだけ見開いていた瞼がそっと閉じたのです。
そして口角が少し上がり微笑んでいます。
その後、母が再び呼吸をすることはありませんでした。
多くの人に「化粧をしているの?」と聞かれるほどピンク色だった母の唇の色は、静かに白へと変化していったのです。

「瞼を閉じるのを見た?」
「うん」全員が頷いてくれました。
そうです、皆が見守る中で旅立っていったのです。

医師や看護師の方が訪問くださり死亡診断時刻は15時前。
先生いわく、多くの在宅での看取りに立ち会うが、最期の瞬間に立ち会える家族は本当に珍しとのことでした。
1割か、多くても2割はありませんと。

在宅介護の時間は家族にとっての日常です。
当然ですが、何かをしている時、寝ている時があります。
そのため、気づいたら終わっていたというケースが圧倒的だそうです。

確かに父の時は、持続モニターが異変を知らせて、看護師が病室に飛んできてくれました。
そばにいた私たちは、下顎呼吸が続いていたので、その変化は見てとれませでした。
それからまもなく最期の瞬間を見送ることになったのです。

そう考えると、在宅ではモニターがない中、それを見極めるのは至難の技です。

なんとなく母は狙ったのだと思います。
13:00で私が近づいたのを見計らい、今この時を見せてくれたのかもしれません。
きっと私が、慌てて孫を呼び最期に間に合わせるだろう行動を読んでいたのでは・・・
私にはそう思えてならないのです。

私の思いを叶えてくれました。

【第39回】母が描いた・母らしい葬儀(前半)