テーマ1 ママの医療
【第36回】母の意思表示
「痛い」と言ってくれた
18日以降、目覚めることが無くなった母です。
自分では想定外であり、本意ではないはずです。
まだ少し、あとちょっとだけ自分を表現しようと思っていたはずです。
開眼しますが、話しはできません。
こちらから、話しかけケアし続けます。
しかし1度だけ、口腔ケアの歯茎をマッサージしている時
「痛い」「痛い」と小さな声が聞こえました。
「え?」そばにいる妹と確かに聞いたのです。
ちゃんとここに母がいるんだと実感した瞬間でした。
左手が話す
脳腫瘍で、右腕・右足には完全な麻痺が現れました。
左足も動きが悪くなってきています。
開眼、閉眼に関わらず、外見的には反応が乏しいです。
少し追視してくれているのだろうか、そのような期待を込めて見るとそう見えなくもありません。
そのくらいのレベルです。
しかし左手だけは、今まで通り動くのです。
手を持つと、反射的であれ握り返してくれます。
「ママ」と声をかけると、これまた握り返してくれます。
お腹が痛いのか、お腹を摩ります。
表情に変化がなくても左手動作から、カイロを貼るなどの対策が取れるのです。
まさに、左手が話すというのが、私たちの合言葉になっていました。
この段階では奇跡
年末が近づき、家族が家に集うことが多くなりました。
リビングには4人が集まり、孫が洗顔後の化粧水を塗っていた時のことです。
妹は、この日母の調子がいいなとは感じていたそうです。
左に立っている妹、右に立っている孫に顔を向け明らかに追視していたようです。
それだけも嬉しい変化です。
実は、20日(金)血圧が220代になって以降、右の眼球は縮瞳したままです。
左のみ緩慢ですが対光反射が見られる程度。
これが脳内の様子を表しています。
この頃からさらにレベルが下がっていたのですが、この日は調子が良かったそうです。
そのような中、右に立っている孫を凝視して・・・
「○○ちゃん」
なんと、一言発したのです。
低い声ですが、周囲の4人が、はっきりと母の声を聞き取れたのです。
先生いわく、医学的にこの段階での発語は奇跡とのこと。
「痛い」という言葉は、動作から発するもので長年の習慣化した延長です。
ましてや、その言葉はまだ対光反射があった段階での発語です。
一方、名前を呼んだ、呼べた、というのはどういう意味があるのでしょうか。
これはある対象を呼ぶという、意思が表示されたということです。
なぜそれが起こり得たのか?
そう、母が最後の力を振り絞れたのは・・・
目の前に可愛くて仕方のない孫がいたからです。
腫瘍で頭蓋内が圧迫される中、残されたわずかな脳の機能を全集中させたのでしょう。
まさに最大の愛情表出をやってみせたのです。
そのことで、”確かに私はここにいるのよ” が私たちに伝わってきたのです。
命ある限り、そこに意思が存在するのです。