テーマ1 ママの医療
【第34回】薬の選択は正しかったのか
母の様子
18日(水)、19日(木)、本日20日(金)全く眠りから醒めない母です。
食事も水分も全く取れない状態です。
日中に点滴1500CC入っているのが救いです。
点滴の滴下をゆっくりと時間をかけてもらうことにしました。
夜は私がロックします。
頻回に舌ブラシで口腔ケアを実施します。
クリアクリーンやアズノールを水で薄めて舌ブラシでマッサージします。
カンジダの薬ファンギソンシロップを塗布したり、口腔内ジェルで保湿します。
300円ショップで購入した、小さな加湿器を口元に設置します。
顔はフェイスパックで保湿し、乳液で仕上げます。
これくらいしか、してあげることがありません。
尿量は順調、血中酸素濃度も93%〜95%取れており、呼吸抑制もなさそうです。
「ママ、起きて」
呼びかけても、とにかくすやすや寝続けています。
20日早朝4時、ゴボっと緑色吐物を嘔吐しました。
幸い、顔を横に向けていたので、誤嚥は避けれました。
血圧160代、血中酸素濃度は93〜95%。
9時オムツ交換で1回、13時オムツ交換で1回、体の向きを変えるたびに嘔吐します。
夜20時は、静かに寝ていても嘔吐します。
胆汁が胃に逆流している状態です。
臭い匂いが嫌いな母です。
私が寝たきりになったら、陰部洗浄だけはちゃんとやってねと言われていました。
そのため、こんな時も清拭し、口腔ケアを続けます。
ほんの少し開眼するようになってきました。
「ママ、わかったら手を握って」
握り返すことはありませんが、指が少し動いているように感じます。
振り返ると確かに
14時に訪問医がこられ、母の様子を伝えてくれます。
「オプソを使わなければ良かったのでしょうか?」
選択した私の後悔です。
「薬の効用は終えているはず、やはり全身状態の低下でしょう」
幸い、母の痛みが抑えられていることに注目くださいました。
「眉間に皺もよってないので、ご本人はしんどくないのでは」
何かあっても、病院には戻らない選択を共有させていただきました。
病院に行けばチューブを挿入し、胃の内容物を除去するでしょう。
点滴が入らなければ、IVH(中心静脈栄養)という選択手段も出てきます。
しかし、今の母にとってその行為は、意味をなしません。
そう思うと、改めて家に帰ってきて良かったと思えるのです。
「先生、在宅に帰ってきて良かったです」
「今、ここが病院ではなくて良かったです」
「このまま在宅で家族の声が聞こえるこの空間で」
水が一口も飲めなかった12月6日に在宅を希望し、13日に退院しました。
13日〜17日は、在宅での思い出を家族全員が体感しました。
もちろん母もです。
もし、良くなった段階で退院を決めていたら、私の後悔は大きかったと思います。
1週間ずれていたら、本日が退院日となっていた可能性があったのです。
意識がある間に帰ってきたことが何よりです。
確かに帰宅後、夜だけ感じてた痛みが夕方、さらには昼間も出始めていました。
ふと、今一度、母の書いていたメモを読み返しました。
帰宅後母にも見せたら、書いたのを覚えていたのです。
氏名○○○○
私が回復不可能、意識不明の場合、苦痛除去を除いては延命治療は辞退いたします。
平成二十九年八月七日 ○○○○(印)
吸入の酸素マスク、痛み除去希望、口頭で言葉が話せること、短命危険があっても痛み止め優先をお願いします。
○○○○(印)
この文面にはっきりと書かれています。
痛みを取る、我慢させない、これが母から言われていたことです。
全身にがんが転移し、痛く無いはずはありません。
私たちとの時間も大切ですが、それは痛みの無い状態であるべきはずです。
今、穏やかな母の寝顔とこの手書きのメモが、私の気持ちを救ってくれたのです。
まるで、それでいいのよと、語ってくれるように・・・
19日午前中にエアマットへ変更し、20日午前中に在宅酸素が加わりました。
点滴による体のむくみはありません。
尿量も出ています。
嘔吐が続いているので、胃液もそれなりに溜まっているのでしょう。
あまり続くようなら、輸液量を少し抑える方が楽かもしれません。
血管が取れなくなれば、皮下点滴が良いかもしれません。
血管は休ませれば、また取れる可能性もあります。
医師や訪問看護師の優しさのこもった一つひとつの言葉に、家族がどれだけ支えられるかを身を持って感じます。
最後まで、わずかな選択肢を提示し続けてくれます。
今、私たち家族は、在宅での看取りという特殊な時間のゾーンにいます。
そこでは、とにかく母の意志に答え続けるだけです。