テーマ1 ママの医療
【第31回】退院前カンファレンス
1ヶ月の入院経緯
11月10日
ヘリで九州の病院へ搬送。状態がどんどん悪化。
11月12日
大阪の病院へ移送。3日後には点滴で改善し、立位が少し保てるほどに回復。
この頃にケアマネへ連絡し、在宅復帰の希望を伝える。
11月23日-29日
放射線療法開始(5回クール)
2回目以降でみるみる状態が悪化。
副作用か?
副作用なら一時的なので良くなるはず。
12月2日
治療後1週間くらい過ぎると良くなるとのことで、在宅介護の調整のため訪問看護へ挨拶にいく。
1人目の在宅医へ打診。
12月3日
さらにレベルダウン。
CT検査にて脳腫瘍の増大を確認。
先生からは、最期の蘇生の意向を確認される。
(ベスト・サポーティブ・ケア(BSC)、がんに対する積極的な治療は行わず、症状の緩和や生活の質(QOL)の向上を目的とした医療行為)
病院で最期を迎えるのか?何かがスッキリしない。
12月4日
出張先の帰り、考えに考え、在宅に戻るなら最後のタイミングと再自覚する。
昨日のレベルでは移動するだけでリスクか?そんなことを考えながら病院へ寄る。
少しだけ水が飲めた母の反応を見て、”今だ!”と心が決まる。
12月5日
知り合いのおばちゃんに電話連絡し、しばらく母と一緒に住んでくれるよう依頼し快諾。
その後主治医へ申し出ると在宅サービスが整うならその方が良いと承諾。
希望は1週間後の12日か13日。
同時にケアマネと訪問看護に退院に向けた協力を依頼。
病院のソーシャルワーカー(MSW)にも意向を伝える。
12月6日
2人目の在宅医へ打診。
12月9日
急な退院希望日に対応が可能な在宅医を求め、3人目、4人目の在宅医へ同時に打診。
3人目の在宅医が承諾くださり、12日退院前カンファレンス、13日退院日となる。
退院前カンファレンス
残り1週間という短期間にもかかわらず、ソーシャルワーカーがコーディネートしてくださいました。
今回、ケアマネと訪問看護は、父の時にお世話になった事業所へ依頼させていただきました。
しかし在宅医は、改めて見つける必要があります。
訪問看護から情報をいただき、ソーシャルワーカーから在宅医の申請をしてくださいました。
退院前日にカンファレンスを持ちました。
主治医から入院に至る経緯と現在の病状の説明をされます。
それを受けて在宅医からは、在宅でできる治療についての説明がありました。
ケアマネは、午前中の訪問介護(月〜金)、訪問入浴(週1回)、福祉用具(前日搬送済み)について説明されました。
訪問看護と訪問介護の訪問が少しズレるように打ち合わせされ、午後の訪問介護も追加で手配くださいました。
両者とも午前と午後に1回づつ訪問くださいます。
まさにそれぞれの専門家がパズルにピースを持ち寄って、全体の絵を仕上げていくのです。
また家族としては、今実施されている点滴を在宅でも継続したい旨をお伝えしました。
在宅医は、一度薬局に聞いてみると即行動してくださいました。
まず調べてみようとしてくださるその姿勢に信頼が感じられました。
退院前カンファレンスの意義は、各専門家にとっては、自分の分野以外の専門情報を補うことのできる時間です。
とくに医療を携え在宅へ戻る上で欠かせないのは、医療の方針です。
在宅医がどのような人なのか、家族の思いをどのように受け止め、医療方針を持たれるのか、ここを知ることがとても重要です。
次に、訪問看護、ケアマネ、リハビリが共有することで、それぞれの役割、立ち回りを確認でき無理・ムラ・ムダのないフォーメーションが目指せます。
そして何より、家族の意向を参加者が同じトーンで理解しておくことで、今後の病状の変化にそれぞれの立場で支える体制が準備できます。
今回私は、実家の片づけをしている時に、母の記載メモ(押印あり)を見つけました。
そして関係者に見ていただきました。
氏名○○○○
私が回復不可能、意識不明の場合、苦痛除去を除いては延命治療は辞退いたします。
平成二十九年八月七日 ○○○○(印)
吸入の酸素マスク、痛み除去希望、口頭で言葉が話せること、短命危険があっても痛み止め優先をお願いします。
○○○○(印)
この頃から、考えていたんだ、母の思いの強さを実感いたします。