テーマ1 ママの医療
【第24回】病院と病院の連携
九州の大学病院
搬送先の大学病院が決定し連絡があります。
その情報を、大阪で連絡を待っていた妹に伝えます。
妹は、すぐさま新幹線に乗って現地に向かいました。
20時前に病院に到着し、治療にあたってくださった先生から結果を聞きます。
診断名は脳腫瘍ということでした。
CTには、はっきりと2つの大きな影と微細な影が点在。
早々、腫瘍周辺の浮腫を軽減する治療がスタートしました。
担当医師は、本格的に治療する為の希望場所を妹に尋ねてくださいました。
妹が、今後のことを考えて、大阪の病院を希望します。
もともと母にはメラノーマを治療している病院があります。
先生からも、大阪の同じ病院が良いというアドバイスをいただきました。
先生
「一刻も早く移動することをお勧めする」
妹
「はい、大阪の病院には先生からご連絡いただけるのでしょうか」
先生
「こちらからさせていただきます」
「主治医への連絡と脳神経外科への紹介状も必要だと思いますので」
移送に向けての準備
結局、九州の病院にお世話になったのは2泊3日。
夕方に搬送され一泊、次の日も一泊し、翌早朝の出発でした。
妹いわく、ご飯を食べてても寝てしまう。
ウトウトし呂律が回っていないようで、ぐたっとしている時間が長い。
そうかと思うと、シャッキとする時もある、とのことでした。
この状態で大阪に連れて帰ることは可能なのか?と思ったそうです。
2日目の夜、少しはっきりとしてきました。
グリセリン点滴の治療、ステロイド(ベタメゾン錠)の内服薬が効きはじめたようです。
あれだけ痛がっていた腕の痛みも軽減してきました。
医師と相談し、医療ソーシャルワーカー(MSW)が、早急に移送の手配をしてくださいました。
病院から新幹線の駅までの介護タクシー、個室の新幹線、新大阪駅から病院までの介護タクシーのアレンジです。
九州の拠点病院でもあり、旅行者のハプニング、このような入院対応は、幾度も経験されているようです。
妹いわく、大変優秀な方だと絶賛していました。
母と再会
母をヘリで見送って2日後、病院の救急外来で母と再会しました。
私と妹との見事な連携プレーが成立したのです。
「あら、るみちゃん、戻ってきてくれたの」
「皆さん、旅行楽しんでいる?」
「うん」
あの日では考えられない母の反応です。
しばらく入院だからと、自宅に戻ってきてと、色々な指示を出してきます。
家の中の書類関係は、どの棚の何色の袋で何番目にあるなど、全て正解でした。
「記憶力いいな、びっくりやわ」
「当たり前んやん」と笑顔。
その顔を見て、怒涛のようなこの3日間が嘘のようでした。
あの時、部屋で動けなくなった母を見ながら、独り言を言ったのを覚えています。
「これ人生最大のピンチかも」
「どうする私」と。
しかし、多くの方々に支えられ、なんとかここに辿りつけたのです。