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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
「お帰りなさい」が言えました。
囁くような「お.は.よ」が聞こえました。
昔からお世話になっていた方が、救急で入院して5ヶ月。
見る見る寝たきりに、そして医療の依存度が高まり、3つ目の転院の話しが出た時です。
私の提案は、医療関係者の皆さんの想定とは大きく異なり”在宅医療に切り替える”でした。
在宅では高齢の奥様の2人暮らしです。
38度の熱発、IVH(持続点滴)、トラブルを抱えた胃ろう、在宅酸素、そして適宜必要な吸引、血糖測定。
誰が聞いても「無理でしょう」 が聞こえてきます。
これが世間一般の反応です。
一方、私にはお二人と過ごした時間があります。
認知症が進行し、自身の悔しさに涙され、記憶が薄れる中にあっても、私への気遣いと愛情を感じない日はありませんでした。
本人から伝わる「自分らしく生き切りたい」は、私に託されたメッセージです。
迷う事のない発言でした。
「3つ目の病院へ行った先にどんな未来が見えますか?」
これが私が投げた問いでした。
私には、在宅での未来が見えます。
そこには、奥様とのかけがえのない時間、お二人の今までを尊び、まさに今この一瞬一瞬を慈しむ未来です。
ご本人の存在そのものが、それを可能にできるのです。
結果、在宅復帰に向けて、病院、ケアマネ、訪問看護、訪問医療、訪問介護、訪問入浴で、一つのチームが出来上がりました。
在宅復帰に向けて、それぞれが専門性を発揮くださったからこその実現です。
目指すのは、治療ではなく、お2人にとっての豊かな時間です。
私はと言うと、専ら奥様の不安を軽減し、吸引を指導し、夜の様子観察も兼ねて、一週間サポートをかね宿泊をさせて頂きました。
日中はいつも通りのペースで仕事をし、本日全て終了しました。
奥様の吸引その他の医療技術は合格!
そして最大の合格の決め手は、奥様の姿でした。
「考えてたほど大変やなかったわ、吸引も上手になったやろ?」
「アラームが鳴った夜も、ちゃんと看護へ連絡できたし、一週間の流れ、1日の流れもつかめたわ」
2人で楽しみながら進めていきました。
「本人の好きな演歌をかけてあげよう!」
「看護師さんやヘルパーさんが、動きやり易くするには、ここに棚があった方がいいかな?」
「やっぱり人の役に立つって嬉しいね」
こうして、いつもの奥様に戻っていました。
本人に話しかけ、演歌に合わせて鼻歌が聞こえてきます。
相変わらず、発熱し吸引が必要な毎日です。
それでも、奥様の眼差しは”大変な状況”ではなく”やりがい”に向きつつあります。
多くの関係者の皆様あってのプロジェクト成功です。
思いは叶う、感謝しかありません。
(2021.3.7)
大通りまでヨタヨタと歩き、時すでに11:15過ぎです。
歩きながら、担当のケアマネに事情を説明し、少し離れたCクリニックの情報をもらいました。
念のため電話で確認すると、12時まで来院すれば診ていただけるとのことでした。
「見つかるまで探せば良いので安心してください」
すぐにタクシーに乗り7分ほど離れたCクリニックへ向かいました。
当然ですが予約は入れていません。
11時45分ごろに到着し、診察券を出した時です。
受付の方々の優しいことに驚きました。
「ごゆっくりどうぞ」
私が知人であることも説明します。
「そうですか」
「では、患者さんに何かあった時の緊急連絡先として、貴方様の電話番号を教えておいてもらえますか」
次に診察前の看護師の問診時です。
私が記した情報書を手渡しました。
ご本人のレベル、日常生活の送り方など、アセスメント情報です。
「ありがとうございます。詳しくて助かります」
看護師が受け取り、カルテに挟みます。
この段階では、まだ医師とは会っていません。
しかしながら、職員の迷いない自主的な行動や発言から、日頃からCクリニックが大切にされようとしている方針が感じとれます。
そして診察はまさに「大事にしてくれている」ことを感じさせる診察でした。
「こんにちは」
「紹介状を読ませてもらいました」
「もう少し症状を詳しく診させてくださいね」
C医師は、出来るだけ正確な情報を得よとされます。
家族に質問し、それに補足があればと私に確認され、その一つ一つの情報を電子カルテに入力されます。
気になった情報を得る度に、本人の身体へ戻るのです。
患者の眼球の動き、咽頭の動き、手足の可動域、打鍵テスト、長谷川式スケールを適宜実施されます。
まさに情報と診察を織り交ぜた、無駄のない診察のデザインが展開されていくのです。
何よりも心に残ったことです。
医師は椅子の向きを、患者の正面に合わせ患者に質問してくれたのです。
「どこが一番つらいですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
そして、沈黙を待ち続けてくれたのです。
認知症が進み、発言がままならないご本人ですが、医師が受け止めてくれている感覚を得たのでしょう。
少し涙目になりながら、自分の辛さを語り始めました。
奥様が大きく頷かれています。
また、私は内心、処方されている内服薬の一つに疑問を感じていたことがありました。
C医師に直接お話しした訳ではありませんが、順を追って症状を説明したところ、内服薬の再調整という診察結果となりました。
クリニックを出たのは12:30過ぎです。
まさに、心残る診察でした。
誰よりも喜ばれたのは奥様です。
「ずっとずっと疑問でね、もう疲弊しかかっていたのよ」
「でも先生に救われた感じがした」
この言葉は、家族が何とか一歩を踏み出した事を表しています。
「診察とは、いったい誰の為のものなのか」
これが共有できると、方法や解釈の仕方に変化を生むことを体感した一日でした。
“院内風土”
それは職員の表情や動き、とっさの対応、相互の合図地などを見ているとリアルに感じ取れると実感します。
帰りのタクシーの中で奥様がつぶやきます。
「Aクリニック、待っている間に先生が受付の子を叱ってたでしょう」
「実は気になったのよ」
あの瞬間が全てを物語っていた事を痛感します。
私が知人の老夫婦に同行し、とあるクリニック(Aクリニック)へ受診をした時のお話しです。
Aクリニックをインターネットで見つけ、予約をしたのは私です。
現在通院中のB病院から、紹介状とMRIデータをもらった上での計画受診でした。
その理由は、老夫婦の奥様が「今の先生には相談しにくい」そんな思いを抱えていらっしゃったからです。
認知症と分かってから、「もの忘れが外来」+認知症の著書も出されている情報をもとにB病院のB先生に通い始めました。
しかしB先生は、患者の話をきくというより、ご自分の治療方法への拘りが強い先生でした。
「内服薬をちゃんと飲まない人には治療をしても無駄です」
「お宅は奥さんが管理しているからいいけれど・・・」
2年ほど通っていたある日、奥様がつぶやいたのです。
「先生を変えることは難しいの?」
定期的に通院するのが苦痛になってきたそうです。
奥様が困りごとを伝えても、一緒に考えてくれる姿勢は感じられなかったようです。
そこで、別の曜日の別の先生に事情を説明し、紹介状を書いて頂きました。
まさにAクリニックの受診目的は、認知症のご主人を献身的に介護されている奥様が信頼できる医師に巡りあう為でした。
しかし、診察室での医師の発言は、期待とは程遠いものでした。
同行した私が家族では無いことに言及されるのです。
「個人情報の関係があるので、ご家族としては同席してもらってもいいのですか?」
奥様が明確に答えます。
「はい」
その後私が答えます。
「ご高齢なので、上手く症状など表現できない部分は代弁してお伝えしますね」
それに対する返事は期待外れでした。
「私は家族と話をする」
「窓口は一本にして欲しい」
「あんたにするなら委任状が必要だ」
「同席するのは勝手だが家族の情報ではないから」
私が答えます。
「ご家族が横で聞かれており、同意しながらですが問題ですか?」
「法律上の家族でないので」
何を診ようとされているのか、話がズレてくる。
情報の有効性も確認せず交わされる言葉はHow Toばかり。
患者の詳しい情報を得ることより、窓口一本化という主張を強い語気で繰り返されるのです。
何故わざわざ私を同行させているかという“老夫婦の気持ち”には全く関心がない様子でした。
「では、その点了解してもらった上で今から診察を始めます」
先生の視線がカルテ画面へ向き直し、診察を始めようとされるその時です。
「診察をお受けするのは止めておきます」
目的が達成できないと判断しお断りしました。
「それならどうぞ、ただし初診料は頂きますからね!」
残念ながら、これが現実でした。
一番心配だったのは、老夫婦の心情です。
不安を抱え、救って欲しいと願っているにも関わらず、医者への不信は募るばかりです。
「大丈夫ですよ、とりあえず、外へ出ましょう」
会計を済ませ、資料一式を返してもらい、Aクリニックを出た時は、すでに11時を回っていました。