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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
今までお世話になった、介護サービス事業所へご挨拶に行ってきました。
私どもが選択した在宅介護という道を、どれだけ助けてくださったことか。
言葉ではとてもいい表せません。
当初の在宅介護は、父が毎日囲碁に通えるように、あらゆるサービスを組み合わせました。
月・水・金(訪問看護)
火・木(デイサービス)
木(訪問介護)
+
近所の方々の支援(タクシーへ乗せる)
家族の送迎
そして2か月前に、母の病気に合わせて、看護多機能に切り替えました。
これは、母の環境変化に左右されずに、父の好きな囲碁通いを毎日続けるためです。
看護多機能の皆様が言ってくださいました。
井上さんのサポートは楽しかったと。
利用者のやりたいことを実現できることに、ワクワクを感じていましたと。
お世話をする、預かるという目的を超えて、本来あるべき姿を一緒に叶えさせていただきましたと。
とてもやりがいを感じていましたと。
何とも、もったいないお言葉です。
私たち家族が、やりたいことを伝えることで、介護に携わる方々のモチベーションになる。
彼らがいるから、私たち家族は頑張れる。
遠慮することなく、頼れる存在でいてくださったことに感謝しかありません。
介護スタッフのお一人が、自宅までお参りに来てくださいました。
父が一番喜んでいると思います。
訪問看護からもお電話を頂きました。
疾患が疾患だけに、多大なサポートを下さいました。
在宅では医療資源が限られているため、工夫、工夫の連続だったこを思い出します。
社内の連携が取れ、1度たりと不安を感じたことがありませんでした。
スタッフの皆様が温かく、とても連携がとれているのです。
それぞれが、働きやすい職場、やりがいを感じるとおっしゃっていました。
私の仕事柄、このような訪問看護を目指していきたい、そう思わせて下さる事業所に出会えたことに感謝です。
そしてこの全てのサービスを、実現に導いてくれたのは何と言ってもケアマネジャーです。
さりげなく調整し、温かく見守り、私たちが迷った時もそっと背中を押してくれたこと、これこそが今回の結果の全てです。
介護サービスを通じて、その向こうに何かがある。
家族はその向こうにある唯一無二の関わりを一生忘れることはありません。
本当にありがとうございました。
パパの介護(ステージ2)全第19回のシリーズを終わります。
医療者として、生きること、生き切る事、死生観など、少しでも伝わるものがあれば幸いです。
・・・・・・・
父を一言で表すなら、自身の生き様に「美学」をたずえた人でした。
決めたことを貫き通す信念や強さ、他者への思いやりこそが、父の誇りであったのだと思います。
何を決めるのも、父の中には正義があり、それはブレることなく、とてもシンプルでわかりやすいものでした。
そんな父に、私自身が迷った時、数えきれないほど助けられたものです。
今から30年前、父が57歳の時に心筋梗塞を発症しました。
心筋梗塞2回、胸部大動脈瘤2回、腹部大動脈瘤2回を経て、3年前の手術で下半身麻痺の後遺症が残りました。
医師からは、次は手術ができないこと、動脈瘤は大きくなってきていること、長くて2年であることは告げられておりました。父はいつでも死を覚悟していたのです。
世間の人は、要介護4と聞くと、「介護が必要な人」という一括りに捉えがちです。
でも父を見ていると、ありのままの自分を受け止め、隠すことも、かざることもせず、周りの人の好意に甘え感謝し、より一層のつながりが高まる様子を見ていると、父の信じ歩んできた道は、「豊かさ」に満ちているなと実感します。
父の人生は、〇〇株式会社の代表取締役として55年間をベースとしたものです。
最後に残った仕事についても、亡くなる2日前に仕事の関係者へ電話し、迷惑をかけないように、やり切っていました。
仕事と平行し、父には複数の顔がありました。
ふるさとを大切に思う父は大阪新温泉町会会長として14年間、地元〇〇市と新温泉町を繋ぐ工夫に日夜取り組んでいました。
また、この〇〇市の発展を心から信じていた者の一人です。
さらに、高校同窓会として〇〇会会長として20年間、新温泉町観光大使としての長きにわたる活動も、同じく郷土愛に導かれた活動です。
父にとって、「ふるさと」や「地元〇〇市」の存在は、父そのものだったのだと思います。
地元といえば、地域です。
地域の自治会の会長として30年間活動させていただき、その繋がりは、まさにこの2日間で体感しました。
60名以上の地域の方が自宅へ立ち寄ってくださり、中には、午前、午後、もしくは2日に渡り、会長顔を見に来たよと訪問くださいます。
それぞれのお気持ちを父に語りかけ、顔に触れてくださる姿を見て、父が残した繋がり、唯一無二の自治会だと思いました。
父の生きる楽しみといえば、囲碁クラブの仲間との豊かな時間でした。
月〜土曜日、365日かかすことなく通わせていただきました。
囲碁では、動けない父を皆さんがサポートしてくれるのです。
トイレにいけない父を助けてくれる人もいます。
何よりもその雰囲気を築いてくださったのは、囲碁サロン〇〇の〇〇先生です。
先生は、父が喜ぶことを実行することこそがモチベーションだと言い切ってくださいました。
父が、救急搬送後も「もう囲碁に行けないのか?」と私に確認するのです。
この世に名ごり惜しいものがあるとしたら、それは囲碁サロン〇〇です。
そしてそれを可能にしてくれたのは、まさに母の存在です。
自宅での介護と囲碁サロンへの送迎を引き受けてくれました。
最期まで父が父らしく過ごせた立役者です。
・・・・・・・
父は阪神タイガースファンでした。
そのため、湯灌後の衣装は、阪神タイガースに関連したスーツです。
一見通常のスーツですが、裏地に阪神カラーやエンブレムが付いていて、ボタンもさりげなく阪神マークです。
物欲の無い父でしたが、仕事着のスーツだけは、公式ショップでオーダーしていたのです。
スーツに気がついた人とは、阪神の話題で盛り上がると喜んでいました。
葬儀関係者の方が、もし良ければと2つ提案くださいました。
納棺後の顔周り、通常なら白い綿を重ねるのですが、白、黒、黄色の綿で仕上げてみませんかと。
さりげなく阪神カラーとなり、嬉しい提案でした。
会場に流れるバックミュージックは、静かなトーンの六甲おろしです。
葬儀を葬儀で終わらせるのではなく、故人に何かしてあげたい私たちの気持ちを支えて下さるのです。
そして、これだけではなかったのです。
父は新聞を読むのが日課でした。
亡くなる前日の夜も、夕刊を買ってきて欲しといい、読んでいました。
そのため、棺桶に入れる副葬品を聞かれた時に、大好きな囲碁の碁石の他に、その日の朝刊とめがねを入れる準備をしていたのです。
すると係の方が、これもいかがですか?と、渡してくださったものがあります。
それは、昨年阪神タイガースが優勝した時のスポーツ祇でした。
「いや、でも、こんな貴重なもの」
思わず驚きました。
「いつか、阪神ファンの方が見えて、ここぞという時にお出しできたらと思っておりました」
「よければどうぞ、差し上げてください」
何とも心温まるサプライズでした。
本当にありがとうございました。
こうして、沢山の方々のお心を頂きながら葬儀場を後にしたのです。
火葬が終わり、骨上げの時間です。
担当の方が、骨の各部位を説明しながら、それぞれが一つまた一つと骨壺に収めていきます。
自歯であった父の上顎、胸部付近には、父の手術跡も残っており、色々感じることがありました。
そんな時に、ふと、これは何?
丸く平たい、小さな白いものが見つかりました。
何と、阪神マークが刻まれたまま原型を留めていたスーツのボタンではありませんか。
全員が驚きと同時に爆笑です。
「すごい、これ燃えなかったの?」
「どうして?」
「阪神マークだよ」
父らしく、ここでも話題を提供してくれたのです。
一つ、二つ、三つ、大小のボタンが原型を留めています。
通常は溶けるものですが、ボタンが天然の貝で出来ていた為、火力に耐えたのだと言われました。
これが3つ目の軌跡でした。
姪っ子が、そっと持ち帰り、修繕して、私達にプレゼントしてくれました。
あの時、そんな発想は私たちにはありませんでした。
大好きなおじいちゃんと私たちを繋ごうとした、彼女なりの愛情です。
とても大切な宝物となりました。
近所の方々とは、納得のいくお別れができました。
次はお通夜・葬儀です。
各日とも50人ほどを予定しておりました。
会場は母が自分で見に行って、ここが良いなと思っていたところです。
病院へのお迎えから、最後のお支払いに至るまで、微に入り細に入り配慮くださった関係者の皆様でした。
設備、サービスと価格のバランスなど申し分ありません。
私ども家族に気を遣わせるシーンが一度もありません。
これがとても楽でした。
お花は葬儀っぽくせず明るいピンクで、祭壇も自然で華やかに、父の映像を流したいなど。
私どものオーダーを全て叶えてくれます。
それを全て、とても大切な行為「コト」として、取り扱ってくださるのです。
幾度となく葬儀の手配をしてきた私ですが、私の葬儀への拘りは湯灌(ゆかん)です。
湯灌とは、棺に納める故人の身体を清める儀式のことです。
衛生的に綺麗にするだけではなく、この世から清らかに旅立つ儀式となります。
通常オプションで追加するケースが多いですが、今回のプランには入っていました。
私にとって湯灌は、故人との最後の共通感覚を感じれるひと時です。
病院で体を拭くのとは、違うものです。
棺桶に入る前の儀式となります。
伝統的な湯灌は、映画「おくりびと」に出てくる儀式です。
清拭で清め仕上げていきます。
近年の湯灌は、持ち込み式のバスを持参し、故人の身体を洗います。
父の場合、タオルで身体を覆い、タオルの下から、石鹸で体の隅々まで洗います。
シャンプーで洗髪し、石鹸で洗顔し、パックで水分をキープします。
爪を切り、髭をそり、点滴跡はちゃんと治療してくれます。
見ている者も本当に気持ちが良くなってきます。
そして故人の気持ちが分かるのです。
「気持ち良いよね」
自然に私たちの気持ちが浄化されていくのです。
おばあちゃんの時もそうでした。
オーダーしていたはずの湯灌が手違いで手配されていませんでした。
周囲が諦めようという中、私はどうしてもやって欲しいと訴えました。
私は後悔したくなかったので、駄々をこねたのです。
あえて空気を読まないように振る舞い「サ・我がまま」を通しました。
それほど湯灌は、私にとって送り出す上での大切な儀式なのです。