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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
母の場合の未完了とは、気になることが心の中に在り続け「やりたいな」「いつかは・・・」と、思い続けていることを言います。
振り返ってみると、告知後の母の行動は、それを完了するための行動で占めています。
例えば、大切なことリストの作成、取り組み中の公正証書の作成は、私たちへの感謝の気持ちだと言います。
自分から調べ、知人から情報を集め、すでに公正役場に行き進めています。
文章を何度もチェックし、父にも確認してもらっています。
私は、次々進めていく母のパワーに驚くばかりです。
また、鳥取への一泊旅行から帰ってきた母の顔は晴れ晴れしていました。
なかなか行けなかったお墓参りに2回行けたそうです。
これまで墓守くださった方に感謝を伝え、今後は墓じまい頂いても構わないこと、どうしても伝えたかったようです。
「了解しました、でも私が元気なうちは任せて、その機会がきたらそうさせてもらう」
先祖から私たちに受け継がれる、確かに今もある互いの”絆”に気づかされます。
母の年齢になると、会える人が少なくなってきます。
出かける前に、3人と会えるかしらと、つぶやいていました。
3人とは、母にとって小学校からの旧友です。
とりあえず、予定は未定で、メインの人にだけアポイントを取って、まずは現地入りです。
結果、皆さんと会えたようです。
1人は特養に入居中とのこと、3人で母が借りたレンタカーに乗って会いに行ったそうです。
皆さんに自分の病気について説明し、もう会えなくなることを伝えたそうです。
同年代ならでは、懐かしさと痛いほどわかるそれぞれの境遇に、色々あったけれど、良かったねと分かち合ったそうです。
もう一人、遠方の方に会いに行った時のことです。
この方も学生時代からの長いお付き合いです。
会うと同時に、飛び跳ねるように喜んでくださったそうです。
「元気でよかった」「会えてよかった」「私たちはがんばろうね」
1人で今を保っている友人を前に、自分の病気については話せなかったようです。
「これで良かったのよ」
帰ってきて、友人が全身で喜んでくれる姿を思い浮かべて微笑んでいました。
「そうね、良かったね」
私からは、今までなら定番の「また今度行けばいいよ」の決まり文句が出ませんでした。
でも、母のスッキリした表情から、母が見つけた答えなのだと実感します。
今回のPET検査の目的は、治療の前にがんの広がりを調べるためです。
静脈からFDG(放射線フッ素を付加したブドウ糖)を注射します。
がん細胞に取り込まれたブドウ糖の分布を画像にします。
撮影画像では、がんのあるところが光ってみえるのです。
過去にも受けたことがある母は、当時は終わってから身体が痒くなった記憶があり消極的でしたが、今回は何事もなく終了しました。
後は10日の診察日に詳しい結果が知らされます。
結果までの1週間、母は、急ぎ過ぎるほどの予定を入れ、あちこちと出かけ始めました。
母なりの理由は、10日の診察日以降は、治療が始まると、身体がしんどくなり、動けなくなるかもしれないと捉えたようです。
*友達との会食
*旧友へ会いに地元鳥取へ1泊2日の一人旅
*旧友へ会いに名古屋へ日帰り など
特に離れている方々へは、病気であることを伝え、これで会うのが最後になることを伝えたいと思ったそうです。
人生の岐路に立たされた時、期限が迫っていると自覚した時、伝えきれなかった気持ちや感謝が沸き出てきたのだと思います。
やり残した仕事に気づいたように、未完了の体験を自分で完了させようと行動し始めたのです。
私と母の時を刻むスピードの速度が違ってきたと感じました。
今までは、私たちのスケジュールに合わせてくれていたのだと気づかされます。
「動ける内にやりたいことをやる」
母にとっては、これが強い動機付けになっています。
感情や記憶が微細に働くようです。
要するに、当たり前の日常や出来事に感謝するようになるなど。
そんな母を見て、私自身が気づかされます。
私は、このままの日常を送っていていいのかと。
とても大きな贈り物をもらえそうで、まだもらえきれていない自分がいます。
「何かしていると忘れてるの」
「でも寝る時は思い出す、寝れない、ずっと寝てない」
「お腹も空かない」
「何も食べてない」
確かに何かをしていると、いつもの母です。
いつものように会話し、晩御飯を作り、笑顔で過ごしているのです。
でも、一人の時間はやっぱり考えてしまうようです。
「いっつも、いっつも、心にモヤがかかった感じがする」
「そうだよね」
そのままを受け止めるだけの私たちです。
一方で、母の強さを実感します。
また一つ、母から学んだことです。
自分から、周囲にガンについて伝え始めたのです。
自分から、会いたい人のところへ出かけ始めたのです。
するとどうなるか、忙しいほどのアポイントが返ってきます。
母の知り合いや仲間が、母のために出来ることをやってくれるのです。
一緒に涙し、今が大事と励ましてくれます。
食事会に声をかけてくれる人、訪問してくれる人、皆さんの精一杯の気持ちが伝わってきます。
何よりも母が喜んでいます。
この反応は、まさに母流の人との関係性が導いてくれているのです。
私はそのことが純粋に嬉しく、また、気付かされたことでもあります。
娘では埋めてあげられない、心の隙間を埋めて下さることに感謝します。
それでも、死を意識せずにはいられません。
夜一息ついていた時、母が落胆しながらつぶやくのです。
「わたしどうなるんやろ」
「死ぬのってしんどいんかな、嫌やな」
その時父が一言。
「心配せんでいい、先に逝っとけ、後から逝ったるから」
「ほんと」と少し甘える目をする母。
「逝ったる、逝ったる、待っとけ、なるようになる」
父は、CT検査で確実に動脈瘤が大きくなっており、2年以内と宣告を受け早2年が経過します。
要するにいつ破裂してもおかしくない、そんな状況の毎日です。
私が思わず、「え?パパが後から逝くつもりかい?」
「そうや、どうやらそうなりそうや」
「え〜〜、それ困るわ」
思わず爆笑の3人でした。
不思議と気持ちが軽くなる瞬間です。
同じ境遇の父の一言で、死に対する捉え方に別の選択肢が生じた気がします。
父にとっての母、母にとっての父、私たちにとっての両親、それぞれが大きな存在です。
昼2時過ぎ、病院を出て、車に乗った3人の行動は、お昼ごはんの場所探しです。
「美味しい蕎麦でも食べたいね」とああだの、こうだの。
私たち親子は、蕎麦が大好きなのです。
蕎麦を食べながら、蕎麦談義。
かと思えば、今週の予定の話。
さらには姪っ子の学校の話と話題が移ります。
その中に、病気の話が入ってくるのです。
無理に病気の話題に触れたり、逆に避けている訳ではないようです。
自然に出たり入ったり、大きくなったり小さくなったり。
私たちの日常会話に新しい話題として加わった感じです。
「じゃあ、今夜はこのまま、大事なものリストをつくりますか?」
大事なものリストとは、母と父の個人情報を整理しリストアップすることです。
動産、不動産に関わる内容の全て(通帳、保険、あらゆる権利証関連)を確認し整理します。
細かくは、定期に引き落とされる公共料金、携帯電話やスポーツクラブの契約先なども必要です。
さらには、携帯電話やパソコンの暗証番号なども含め、私たちが困らないためのリストです。
母が数年前から「整理しなきゃ」と思い続けていた内容だそうです。
つい先延ばしできたけれど、今回改めて必要だと思ったそうです。
これがまた大変、整理をしながら、話を聞きながらの作業です。
もちろん一度には終わりません。
この日は、親子3人ワチャワチャと話しながら、夜中の1時ごろまで実施しました。
あれはこっち、それは違うなどなど、指示が飛びます。
「あなたたち、とりあえずコーヒー飲む?」
「あなたたち、疲れてない?」
「あなたたち、本当に助かるわ」
「疲れた〜しかし病気のママをこんなに働かせていいの?」
3人で爆笑しながらの深夜1時の夕食でした。
感情の軸と日常の軸。
日常の軸は、感情に意味づけをしていくようです。
********ママからのメール(本人の気持ち)********
おはよう☀️🙋♂️❗
昨日はお疲れ様でした
13時間の作業、3人でよくやったと思います
特に💻️パソコン大変でしたね
良い思い出になります
体調も昨日よりらくになっています
余命、元気な間に色々と、しておかなけれはけ行けないこと沢山あります
やつばり、考えてしまいます
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