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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
そういえば、母は、自分がメラノーマだと知る随分前から、生きることの意味を考えていました。
私にこのドラマ参考になると、わざわざビデオを撮って見せてくれました。
2023年度NHK【土曜ドラマ】お別れホスピタル
高齢化が進行し、癌が国民病と化した現在の日本。
7割以上の人が病院で最期を迎える。
そんな病院の中でも 、 末期がんなど重度の医療ケアが必要な人や、在宅の望めない人を受け入れる療養病棟。
そこはまさに医療のセーフティーネット。
その最前線に立つ看護師は、 意思表示の難しい患者さんのわずかな変化も見逃さず、 そこでの 日々が最善であるよう努める。
ただ 苦痛を取り除くだけでなく、その人らしい「 限りある生のかたち 」 を求めて日々奮闘する。
そして、訪れた最期から、その人なりに「生き切った命」を見届ける証人となる。
患者さんや、その家族、そして彼らと関わる医師や看護師の、葛藤や、怒りや、悲しみや、小さな喜びや、笑顔や、素顔の先にあるドラマを通して、「死を迎える」ことと、「生きる」ことの意味を問いかける。
それは、私たちの未来への一筋の光につながっていくはず。「お別れホスピタル」それは一死の一番そばにある病院で繰り広げられる、壮絶で、けれど愛にあふれた人間ドラマ。
随分、古い新聞記事もあります。
すべて、死生観、看取り、に関する切り抜きです。
*2020年4月22日読売新聞:ACP(人生会議)を考える〜延命か尊厳か日米で意識差
*2023年2月8日読売新聞:死と生を見つめて〜緩和ケア家で尊厳ある死〜
*2024年3月30日読売新聞:死と生を見つめて〜故人との「継続する絆」
*2024年3月28日読売新聞:死と生を見つめて〜葬儀で感じた「つながり」
これらのドラマや記事に共通することこそが、母の伝えたい事なのだろうと思います。
ある日母がふと、ターミナルって何?と聞いてきました。
当然ですが、沢山の記事を読んでいる母です。
一般的なターミナルケアについては知っているはずです。
それでも質問してきた理由は、おそらく私が捉えるターミナルケアを知りたかったのだと思います。
それはまさに、母自身のターミナルケアを示唆するからです。
「ターミナルケアってね、ある一定の状態になると、もう病院に運ばないの」
「ほら、近所の〇〇さんの時も私が調整に入ったでしょう、今でも最期が迎えられて良かったって言ってくれてるよね」
「看取りの状態は、身体のあらゆる機能が自然に閉じようとしている段階なの」
「だから熱が出たからといって、以前のように病院へ搬送しないの」
「もう治す段階ではなく、苦しさやしんどさを取り除いてあげるの」
「病院に運ばれると、どうしても治すための関わりが必要になってくるでしょう」
「そこに新たな苦痛が伴っても治るなら意味があるけどね」
「そうではない段階に入っているのがターミナルケア、要するに在宅の先生、看護師さんや家族で看れる範囲で見守る段階」
「ママの場合は、ペインコントロールが出来る先生を見つけるよ」
「要は麻薬が使える先生で、それに慣れた先生だね」
「そんなこと自宅でできるの?」
「できるよ」
「自宅で孫が出入りしながらね、そんなイメージかな」
「苦しまない?」
「しんどいのは嫌、もう意識が無くなってもいいから、眠らせてくれる?」
「分かってるよ」
「私に任せておけばいいよ」
母の表情が、何となくホっとしたように見えたのは、気のせいでしょうか。
診察に呼ばれ立ち上がり、母の前後に私たちが囲むように歩いていきます。
「死刑台に上る気分やわ」
まさに今の母の受け止めです。
何もかも真っ暗にしか見えない、諦めの心境なのだと思います。
私はというと、多臓器に転移していなければいいなと考えていたのです。
下痢の症状があったので、大腸が気になっていました。
今後の治療や予後に影響してくるからです。
自分に言い聞かせながら頭で考える私と、こころで感じる母。
母のように、気持ちに余裕のない今の状態では、先生の話も入ってこないだろうなと思います。
こんな時、誰かが側にいて、重要な情報を受け止め、質問する役割の人がいるべきだと思いました。
PET結果は、胃、肺、臀部皮下にメラノーマの多発再発の疑いとのことです。
一方、20年前の足のメラノーマ部分の再発、それに伴うリンパ節などの再発はないそうです。
ただ長い時間をかけた、血行性転移だろうとのことです。
最悪な結果には変わりはありません。
しかし、臀部皮下への転移はあるが、大腸に比べたら良かったと思えます。
足の再発が無かったということは、がん細胞が20年以上悪さをせずに、私達に時間をくれた訳です。
こんな状況下でも、見えるものがあるなと感じました。
これまでのがん治療は、直接がんを標的にした治療法です。
一方がん免疫療法とは、薬が直接がん細胞を攻撃するのではなく、もともと体内に備わった母自身の「免疫」の力を利用して、がん細胞への攻撃力を高める治療法です。
今回は、後者の治療法でオプシーボによる治療を進められました。
これは手術による治療が難しい患者に認められており、多臓器転移の母に該当します。
以前はメラノーマの治療法が無かったのですが、現在はいくつか認められています。
その一つがオプシーボであり、効果は3割です。
また、同時に遺伝子の型を見極め、ある遺伝子タイプに効く薬もあるとのことです。
こちらは自費検査となり約8万円の費用がかかります。
まずはオプシーボ、1回30分以上かけて点滴を投与し、4週間ごとに投与し続けます。
初回を除いては、外来での治療が可能であり、働きながら受けられる治療法です。
もちろん、副作用が出現する可能性もあります。
間質性肺炎、糖尿病、重症筋無力症など。
それは、自分の臓器に対する過剰免疫反応が起こった時です。
要するに、自分の臓器を自分で攻撃してしまう可能性です。
その兆候を見極める検査をしながら、治療を続けていきます。
後は、その副作用のリスクと治療効果のどちらを取るかです。
母の但し書は「元気な状態での治療効果」です。
しんどくて長生きし、どこにも行けなくなるなら、今の時間を大切にしたいです。
副作用のレベルは、対処療法で改善していく人もいるので何とも言えません。
「まずは予約を取って、考えてみては」
先生の待つ姿勢です。
本人の選択って、本当に大切だと思います。
自分で決めたからこそ、乗り切れるのですから・・・
********母が親戚に送ったメール(現在の気持ち)********
桜が咲きよい季節になりました
実は2月末ごろ風邪気味でなんとなくレントゲンや胃カメラの検査をしました
結果、肺癌の疑いと胃の中も黒い斑点がありメラノーマと言われて何が何か分からない気持ちでした
家族もそれぞれの気持ちで精一杯受け止めています
4月10日(水曜日)ペット検査の結果説明があり、肺や胃袋、お尻の筋肉内など、色々と指摘されました、悪性です
夫のこともあり、覚悟はしていましたが気が遠くなりました
今さら治療はしないと思っていましたが周りの考えや治療の進んでいる説明がありなかなか納得出来ていないのですが、22日(月曜)に入院治療することになりました
夫は囲碁が大好きで午後2時~5時半まで毎日車で送り迎えをしています
その間、買い物や家事が出来て助かります
そんな日時も愛おしく感じられます
今日はその時間久しぶりにプールに行って来ます
今は全く体調は普通です 食欲あり、旅行も海外でも行けそうですよ
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母の場合の未完了とは、気になることが心の中に在り続け「やりたいな」「いつかは・・・」と、思い続けていることを言います。
振り返ってみると、告知後の母の行動は、それを完了するための行動で占めています。
例えば、大切なことリストの作成、取り組み中の公正証書の作成は、私たちへの感謝の気持ちだと言います。
自分から調べ、知人から情報を集め、すでに公正役場に行き進めています。
文章を何度もチェックし、父にも確認してもらっています。
私は、次々進めていく母のパワーに驚くばかりです。
また、鳥取への一泊旅行から帰ってきた母の顔は晴れ晴れしていました。
なかなか行けなかったお墓参りに2回行けたそうです。
これまで墓守くださった方に感謝を伝え、今後は墓じまい頂いても構わないこと、どうしても伝えたかったようです。
「了解しました、でも私が元気なうちは任せて、その機会がきたらそうさせてもらう」
先祖から私たちに受け継がれる、確かに今もある互いの”絆”に気づかされます。
母の年齢になると、会える人が少なくなってきます。
出かける前に、3人と会えるかしらと、つぶやいていました。
3人とは、母にとって小学校からの旧友です。
とりあえず、予定は未定で、メインの人にだけアポイントを取って、まずは現地入りです。
結果、皆さんと会えたようです。
1人は特養に入居中とのこと、3人で母が借りたレンタカーに乗って会いに行ったそうです。
皆さんに自分の病気について説明し、もう会えなくなることを伝えたそうです。
同年代ならでは、懐かしさと痛いほどわかるそれぞれの境遇に、色々あったけれど、良かったねと分かち合ったそうです。
もう一人、遠方の方に会いに行った時のことです。
この方も学生時代からの長いお付き合いです。
会うと同時に、飛び跳ねるように喜んでくださったそうです。
「元気でよかった」「会えてよかった」「私たちはがんばろうね」
1人で今を保っている友人を前に、自分の病気については話せなかったようです。
「これで良かったのよ」
帰ってきて、友人が全身で喜んでくれる姿を思い浮かべて微笑んでいました。
「そうね、良かったね」
私からは、今までなら定番の「また今度行けばいいよ」の決まり文句が出ませんでした。
でも、母のスッキリした表情から、母が見つけた答えなのだと実感します。
今回のPET検査の目的は、治療の前にがんの広がりを調べるためです。
静脈からFDG(放射線フッ素を付加したブドウ糖)を注射します。
がん細胞に取り込まれたブドウ糖の分布を画像にします。
撮影画像では、がんのあるところが光ってみえるのです。
過去にも受けたことがある母は、当時は終わってから身体が痒くなった記憶があり消極的でしたが、今回は何事もなく終了しました。
後は10日の診察日に詳しい結果が知らされます。
結果までの1週間、母は、急ぎ過ぎるほどの予定を入れ、あちこちと出かけ始めました。
母なりの理由は、10日の診察日以降は、治療が始まると、身体がしんどくなり、動けなくなるかもしれないと捉えたようです。
*友達との会食
*旧友へ会いに地元鳥取へ1泊2日の一人旅
*旧友へ会いに名古屋へ日帰り など
特に離れている方々へは、病気であることを伝え、これで会うのが最後になることを伝えたいと思ったそうです。
人生の岐路に立たされた時、期限が迫っていると自覚した時、伝えきれなかった気持ちや感謝が沸き出てきたのだと思います。
やり残した仕事に気づいたように、未完了の体験を自分で完了させようと行動し始めたのです。
私と母の時を刻むスピードの速度が違ってきたと感じました。
今までは、私たちのスケジュールに合わせてくれていたのだと気づかされます。
「動ける内にやりたいことをやる」
母にとっては、これが強い動機付けになっています。
感情や記憶が微細に働くようです。
要するに、当たり前の日常や出来事に感謝するようになるなど。
そんな母を見て、私自身が気づかされます。
私は、このままの日常を送っていていいのかと。
とても大きな贈り物をもらえそうで、まだもらえきれていない自分がいます。