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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
落ち着いたところで、妹にLINE電話します。
現状を伝え、LINEビデオで母の様子を共有します。
これまでの概要を説明します。
見てとれる変化は2日前。
昨夜からの様子を見ていると、最終日に東京の港から大阪に帰れないかも、と感じたことを伝えました。
どちらにしても、現場から脱しなければいけません。
様々な想定をします。
本日が船中移動で、明日はチェジュ島です。
この状態で救急搬送を考えた場合、 寄港かヘリコプターしかありません。
予定外の寄港はあり得ないと推測。
ヘリコプターによる搬送か、明日のチェジュ島か、明後日の鹿児島か。
想定を固めていきます。
私は経験上、このような特殊な救急搬送は3回目になります。
1度は、ヘリで救急搬送された父への対応です。
ある日突然、田舎の病院から電話が入りました。
日帰りだった予定の父が、救急搬送され「迎えにこれますか」の問い合わせです。
車を飛ばして4時間、その日に父を連れて帰りました。
1度は、ロシア在住の妹をロシアの病院から、日本の病院への搬送同行です。
全身火傷をした妹からのSOSです。
本来1週間以上かかるはずのビザ取得ですが、早いルートで手配し、3日後には日本を離れました。
この時大変だったのは、日本の受け入れ先の病院を私が見つけないといけなかったことです。
普段日本にいない、通院したことがない、妹はいわゆる初診患者です。
診察もしていない初診患者を、いきなり入院受けしてもらうのは至難の技です。
しかも、情報ときたら、電話越しの話だけです。
一刻をあらそい、本日中の確定が必要です。
時間は16時過ぎ、どの病院も外来電話が通じるのは17時までです。
火傷の治療のため、それなりに信頼のおける大きな病院でないといけません。
いくつかの病院の代表電話にかけて、皮膚科に回してもらい、電話越しの交渉です。
まさに、熱心な思いが通じた瞬間でした。
船のメディカルセンターへ連絡する準備に入ります。
スタッフは、基本外国人です。
「寒気がする」
体温を測ると、37.9度、また熱が上がってきました。
行動を起こすことにします。
フロントに電話すると、医療スタッフが居室に訪問すると料金が高くなることが告げられます。
どちらにしても、動けないので訪問を希望ました。
外国人の男性看護師と、日本人の女性看護師が駆けつけてくれました。
朝トイレに行って、足がもつれて倒れた際、右側頭を強く打撲したこと。
2日前から体調に変化がおきたこと。
血圧、脂質異常症の内服薬服用し血圧のコントロールはできていること。
メラノーマによる治療を受けていることなどを伝えます。
点滴ラインを確保し、ストレッチャーで医療センターへ運ばれました。
船内で実施可能なレントゲン検査と血液検査を実施し、医師からの説明を受けます。
チェジュ島に向かっており、境界域を超える前に救急ヘリでの搬送となりました。
楽しい時間を過ごしつつも、右腕が徐々に動かなくなってきたのです。
体の動きに少し遅れるように右腕がついてくる、そんな様子です。
私が他動的に動かすと、痛がるのです。
自分で意識すると、ちゃんと動くのです。
「気になるな」
「うん」
旅行前日は、いつものようにスイミングでクロールしていたのです。
旅行当日も、荷物を運ぶのを手伝ってくれていました。
函館観光はしっかり楽しみました。
しかし、徐々に下着を下ろすのが間に合わずトイレを失敗しがちになり始めたのです。
秋田観光から帰り、疲れた様子で少し横になりました。
少し熱発し、血圧の薬を飲み忘れていたとのことで服薬します。
血圧計を借りてきて測定するとやや高めです。
2時間ほど寝たら、スッキリしたと本人、なんとか夕食のディナーは参加しました。
気分を切り替え、ドレスアップしての参加です。
結果、相対的に楽しかった状態です。
夜中のトイレに失敗したのか、着替えが置いてありました。
夜中音に気づくと、ヘルプに入りました。
早朝、気分がすぐれず横になっています。
血圧の数値に問題はありません。
本日の金沢寄港は、参加せず寝ていると言います。
昼食は、希望のものを準備してテーブルに置いておきます。
心配な反面、母の気遣いになってはいけないので、他の2名と下船し観光へ出かけました。
夕方に戻ってきたら、準備していた昼食のデザート以外は食べていません。
はやり、トイレには履き替えた下着が置いてあります。
トイレに誘導すると、右足のスリッパを履かずに歩くのです。
「スリッパ履いてないよ」
「ん?履いたつもりだけど、履けてないね」
なんとなく、右側に変化が出てきています。
翌早朝、トイレに行きたいと立ち上がります。
大きく右側に傾き起き上がりずらい状態です。
私がサポートし、体の軸を整えます。
母のベッドは、窓側、要するに奥に位置します。
そのため、手前の私のベッドや壁の間の狭い空間を歩かなければいけません。
やはりフラフラ、右腕に三角巾を巻き、右側を支えて立ち上がりを補助します。
トイレに行き、排泄を済ませます。
歯磨きを希望し自ら済ませます。
椅子に座って待っててもらい、その間にベッド周りを整えていました。
すると、ガンといった大きな音が鳴ったのです。
振り返ると、母が倒れています。
足が絡んで、バランスを崩し、頭の側頭を強く打った音です。
「え?!」
「痛い」と叫び、座り込みます。
頭のジンジンする痛みを訴え、15分ほど時を待ちます。
血圧は正常、会話可です。
しばらくして、立ち上がりをサポートするのですが、全く立ち上がれません。
浴室と部屋の段差に座り込んでいる状態です。
姿勢は、低い位置で腰掛け体育座りをしている状態です。
右腕も右足も痛いらしく、立ち上がると崩れてしまうため立てません。
何度試みても動けないのです。
私も、ボディーメカニクスを駆使してトライします。
しかし、右側に触れると痛がるため、アシストも不可能な状態です。
人を呼ぶにしても、ドアの前に座っており完全なる障害物です。
何度も声をかけ、よいしょと試み、時間だけが過ぎていきます。
「しんどい」
「寝たい」
「そうだよね」
「どうする私」と自分に問いかけ、知恵を絞ります。
そして、大きなバスタオルを地面に敷き、そこに寝転がってもらうことにしました。
狭い空間で、右斜前にしか倒れるスペースがありません。
しかし、右側は本人が痛がるため倒れる時にはリスクがあります。
少し高めの位置から、せいのゴロン。
「イタタタ・・・」
「ごめん、ごめん」
右腕も足もグニャっとなりがちで当然です。
予期せぬ姿勢で骨折に繋がっていないことを願うばかりです。
早々、右足を屈伸、関節を回し、右腕を縦横に動かし、痛みの具合を確認します。
痛がってはいますが、骨折ではなさそうです。
バスタオルを広いスペースへ引っ張るのは容易でした。
その後、体の下に2枚目のバスタオル、沢山あるクッションを敷き詰めます。
簡易ベッドの完成です。
しばらく寝てもらうので、床の温度で体が冷えない対策です。
本人はやっとホッとした顔です。
「水飲む?」
「うん」ストローで吸い上げます。
「ヨーグルト食べる?」
「うん」介助しながら、ハチミツヨーグルトを食べてくれました。
しばらくすると、スースーと寝息が聞こえてきます。
さて、本番はこれからです。
ほとんどが定年退職をされた方々の参加です。
今まで頑張って働いて、今この時を満喫しに来られています。
昼の談笑からカクテルを飲みながら話を弾ませます。
夜は毎夜テーマに合わせてドレスアップし登場されます。
なんというか、日本経済の底力を実感する空間です。
多くがペアで参加されています。
朝、昼、夜なく、それぞれのラウンジでは、ペア同士が談笑されています。
きっと、ここでお出合いになられた方々でしょう。
”袖振り合うも多生の縁”話は尽きないようです。
母や一緒に参加した知人のお二人も、ところどこで、その時の仲間を見つけます。
自分に自信があると、あらゆる人と交われるのだと思うのです。
もちろん、車椅子の方も杖の方も、皆さん堂々とされています。
虚弱、要支援、要介護と、どんなレベルであれ必要なことがあります。
それは、それぞれの自信に見合った、それぞれの興味・関心が必ず存在していることに気づくことです。
介護サービスに思わず動きたくなる要素がプログラムされている。
このために私は元気でいたい、だから頑張るんだ!を喚起させてくれる仕組みです。
今回のクルージング商品一つとっても、微に入り細に入り、喜びや満足ポイントが織り込まれています。
なるほどな、確かに買いたくなる設計が考え抜かれています。
ディナーでは、対面アンケートに協力させていただきました。
いわゆる市場調査であり、一次情報として、もっとも価値の高い情報です。
毎回インタビューをして、声を聞き、次回に生かすそうです。
とことん、喜びを作るマーケティング視点です。
介護業界はどうでしょうか?
介護というサービスを提供することは、当たり前のことです。
元気になるとはどういうことなのか?
リハビリとは何のためにするのか?
長生きの先には何があるのか?
私にとっては、”人のよろこび”を科学的に捉え体感する実体験の時間でもありました。
母もいつも以上に、笑って・楽しんでいます。
毎夜のディナーではテーマに合わせ、持参したドレスから選びます。
荷物を詰める時から、私がイメージしていた通りです。
「今夜はどれを着る?」
「ちなみに、これと、これを持ってきたよ」
選べる楽しさ、アクセサリーのラインナップも準備しました。
荷物が多かったはずです。
直前まで仕事に追われていた私は、荷物を準備し事前に送る時間の余裕がなかったのです。
大きな荷物3つと母を連れて、船まで辿り着くまでの大変さが、この瞬間に吹き飛びました。
最初はシャンパン、次に白ワイン。
左手でフォークやスプーンを使って食べます。
次々に運ばれる料理に、知人を含めた4人の談笑はつきません。
夕食が終われば、ナイトショーを見に行きます。
寄港先の函館では、タクシーで展望台へ。
芸能界でも有名な地元のラーメン店へ。
秋田では、国立美術館へ。
そして、また賑やかな夜がやってきます。
母には、宣言された余命の中で、大切な家族と、1回でも多く旅行がしたい。
美味しいものを食べて過ごしたいという強い思いがありました。
これを叶えてあげたい、私たち娘の気持ちです。
そのため、本来なら来年4月に取っていた予約を、急遽11月に変更したのです。
もちろん、来年行けたら更に良しです。
しかし、歳を取ると来年はあくまでも”おまけ”です。
思い立ったら、今が一番ベストなタイミングです。
この”時”の流れの体感スピードが、高齢者と若者では全く異なります。
そう、どんなに頭では分かっていても、人生に先がある子供の立場では実感しきれないのです。
”来年は行こうね”と思ったり、本来衰えている親の体力以上の盛りだくさんの旅行計画を立てがちです。
親元を離れて経年し、元気なイメージのまま捉えているとなおさらです。
無理もありません。
当事者である高齢者が、本当に分かってほしい点はこの点だと思います。
体力や調子の衰えは、見かけではわからない微妙な変化です。
そこが、本人しかわからない葛藤です。
寝床が変わっただけで、夜の寝つきが悪くなる方もいます。
楽しさを求めて旅に出ても、この苦労は別ものです。
ここもメンテナンスポイントです。
そういえば、母も”Myまくら”を持参しました。
これがサインです。
「持って行きたい」と言われたら、「そうなのね」で受け止めてあげたいものです。
自ら対策を提示してくれるので、ありがたいことです。
いよいよ日本一周旅行の船旅が始まりました。
東京の港から出発で、夕方大きな荷物を持って乗り込みました。
広い船内は、どこまでも続くアーケードが目に止まりました。
天井を見上げると、時間によって映像が移り変わります。
アーケード下は煌びやかで、時計やジュエリーなどのブランドショップが並びます。
中央には、ガラスの螺旋階段が左右に位置し、写真スポットになっています。
船内は、20箇所ほどのバーやラウンジがあり、アルコール・ソフトドリンクが飲み放題。
ジム、プールやジャグジー、エンターテイメントなどが揃っています。
毎晩メインレストランでは、、コース料理が準備されています。
コースに飽きた人は、ビュッフェで好きな物が食べられます。
朝食、昼食もビッフェ、日本食も準備され、好みに合わせてチョイスが可能です。
要するに、早朝から夜まで、食べたい時に食べられるのです。
乗客数約3600人、乗務員数役1500人、合計約6000人ほど。
まるで大きな街が移動しているようです。
寄港する日は、1日現地を楽しみます。
船で過ごす日は、さまざまなイベント、ジム、プールなど選択が可能です。
毎夜異なるエンターテイメント、あらゆる催しやショーが準備されています。
ミュージカル、ダンス、ソングと、普段では触れない非日常が広がります。
バルコニー付きのお部屋は、約17m2、バルコニー4m2で2ベット。
ちょうど高齢者住宅の一人部屋ほどです。
外国船のため、ベットも便座も少し高いところが気になりました。
母などは、背が小さいので、よいしょって感じです。
窓の向こうには、広大な海が広がります。
夜空を見上げ、海風にあたるこの体験は特別です。
船の動きと同化して、時の流れで動いている感覚です。
夜風に触れながら、頭に浮かんだのは・・・・
「パパがいなくなり、ママとの時間が今なんだよな」
毎年母と海外旅行に行ってた時には、感じることのなかったしみじみさです。
時が永遠でないことを改めて実感します。
これは、エンターテイメント満載の非日常に身をおくことで、そのコントラストがより明確に感じるのです。
今、この時を止めることはできない、だからこそ、今を体験するのです。