-->
2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
乳房転移をうけて、治療薬をオプシーボからキイトルーダという点滴薬に変更しました。
副作用を恐れてギリギリまで消極的な母。
「薬を変えて副作用が出たら旅行に行けなくなる」
「今やったら、まだ行けるのに」
先生曰く、
「オプシーボで今の状態に抑えられているかもしれない」
「しかし効いているかと言われたら? 別の種類の薬でチャンスがあるならそれにチャレンジするのも一つ」
「これ以上の治療もあるがおススメしない、これなら適応だと思います」
貴方たちどう思う?
「私は、副作用の可能性が少なく、かつ、せっかく打つなら効果を期待できる方が良い」
せっかく治療をするなら、効果的にと思う娘の気持ちを受け止め、新たな薬に変更しました。
薬を変えても、今のところ副作用が出ていません。
親子3人で仙台旅行。
母は、妹も行くとは思ってもおらず、娘二人と行けるとなると、心が躍ると嬉しそうです。
空港到着後、レンタカーで一路日本三景松島めぐりと国宝.瑞厳寺へ。
翌日は、平泉の中尊寺,弁慶堂、本堂、金色堂、白山神社を巡りました。
奥州藤原氏の本拠地であり、源義経、弁慶の主従終焉の地。以前に訪れた事のある母が詳しく解説してくれます。
最終日は、蔵の町並み村田町へ。室町,江戸の商人の活気が伝わってくるようです。
建造物の説明を受け、鳥取の町並みに似てると懐かしんでいました。
夜は、牛タン、生牡蠣、ワイン、シャンパン、日本酒、何でも美味しいと堪能してくれる母。
「あ~1日でも長く、あなたたちと過ごしていたい」
旅行中は、見るもの聞くものが全て新鮮。
疲れも、喜びです。
そう、話すと笑うの繰り返しです。
免疫療法ってまさにこれだ!と思います。
私達家族が出来ることは、まだまだ母に眠っている元気さを発揮してもらうこと。
私と、母の病気との勝負は続きます。
オプシーボの治療5回が終了し、副作用もなくホッとしていたこの時期です。
母は、ちょっと気になってることがあると、治療日ではない日に受診をしてきました。
左胸の表面に、コロコロと硬いものが触れ、検査の為、切開して取ることになりました。
それから1週間、本日は、妹と2人で検査に立ち会いました。
切除後の説明で、断面が黒っぽいことを告げられました。
やっぱり・・・
「検査に出してみないと断定はできませんが、おそらく転移でしょう」
「オプシーボが効いてないのか、もしくは効いているからこのスピードで済んでいるのかは、わかりません」
「結果によっては、薬を変える方法もあります」
母は、どういうと少し理解出来ていない様子でした。
「進んでいるってことですか?}
「そうとも言えます」
「先生、来年までもちませんか?」
「来年、娘とクルージングの日本一周旅行に申し込んだんです、4月です」
「ん~何とも言えないところです」
「そうですか・・・」
「がんが進んできたら、痛くなるの?私痛いのは嫌」
「出来るだけ、痛くないようにしますね」
「皮膚科だけでなく、緩和ケアの先生とも連携していきます」
私自身が、現実感のない感覚で、先生のお話を聞いていました。
それは、母でも同じことでしょう。
そのため、今診察室で交わされている会話は、これからどうなっていくの?の一色です。
どちらかといえば、それしか会話する内容が見当たらない、何かしゃべっていたい、そんな気分でした。
到底、生きる意味を考える時間にはなりません。
細胞診の結果を待たずして、おそらく黒色腫の転移に間違いないだろうことを知りました。
母の気持ちを思いつつも、動かせない現実に、私はどのような言葉をかけるのだろう。
「しかたないね」とつぶやく母。
さすがにまだ来年は、生きているような・・・私の気持ち?願望?
専門家であるはずの私ですが、いまだにそのように感じるほど、今の母は今まで通りです。
こっから、何がどう変化するのだろう?
急激に変化してくるのか?
沢山のケースに関わってきたものの、描き切れない私がいます。
冷静に理性的に捉えているのですが、どうしてもピンとこないのです。
父の時は、循環器の疾患で、CTを撮る度に瘤が拡張し、本人を含め家族みんなが覚悟するという時間がありました。父は、来るときが来たら仕方がないと達観していました。
きっと、父が生きていたら、父がかける言葉こそが、何よりその道に立っている者として、本日の母の励みになった事と思います。
今の母が、どれだけ落ち込んでいることか・・・
そして、人が誰もが通過するプロセスなのだと、改めて実感しています。
そんなことを考えつつ、気づいたら、旅行会社へ電話をしていました。
来年の4月のクルージング旅行日を、急遽この11月に変更していました。
私の時間のやりくりは何とかできる、でも母のタイムリミットは何ともできない。
おのずと、答えは出てきます。
㋈も仙台旅行を入れました。
楽しみや目標があれば、こころに占める内容が違ってくると。
そう、私ができることは、母のこころに占める時間を、病気のことではなく、楽しいこと、家族のことで制覇することです。
私と病気との勝負に挑みます。
オプシーボ投与も3回が終了しましたが、今のところ副作用は出ていません。
いたって元気で、食欲も旺盛です。
しいて言うなら、太陽に当たった肌(日焼け)の部分の皮膚に痒みや赤みが出現するか?といったところです。
この落ち着いた状態を期待して、数ヶ月前にベトナム旅行の予約をとっていました。
メコン川ツアー。
大きな船で対岸へ渡り、徒歩で散策。途中でニシキヘビを首に巻いて記念写真、ココナッツ加工工場、はちみつ工場の見学も結構見応えがありました。途中でフルーツの王様ドリアンをリクエスト。我々家族の大好物です。
grabタクシーを使ってあちこち移動。
初日の夕食は地元で有名なビストロへ。
かつてフランスの植民地であった名残があり、料理がとても美味しいのです。
2日目の夕食は、ミシュランで言及されたフォーの専門店へ。
どこに行っても、一番食欲があるのは母です。
そしてとても嬉しそう!
私ども娘はギブアップ!
母と2人でプールでくつろぎました。
母はスポーツクラブで水泳を続けています。
いつも軽く2キロは泳ぐそうです。
そんな母へ、クロール競争を挑みましたが、惨敗の私。
バタフライといい到底かないません。
私の泳ぐ姿勢へ指導を入れてくれます。
思わず水中で母に思いっきり抱きつきました。
ずっとずっと抱きついて、元気でいてねとつぶやく私。
「そうね、わかっているよ」
「良い思い出だよ」
かけがえのない時間でした。
明日は母の日。
本日一足先のお祝い日です。
大阪府茨木市のコミュニティー広場「おにクル」のオープニングイベントで、広島県安芸高田市の神楽講演を観ました。
私自身神楽は初めて。
神楽とは神を祭るときに奏でる舞楽だそうです。
招いた神様を祝福し、神様も一緒に遊ぶ(神遊び)という意味があります。
昔は御座の上に村人が座り、神と人とが酒食をともにして歌い舞を楽しんだとされています。
母が何度も言います。
「小さいころ、母親に出雲神楽に連れて行ってもらったものだ」
「こんなところで神楽が楽しめるなんて嬉しい」
ふと、私にとっては一つのエンターテイメント。
でも母にとってのこの時間は、過去に戻り、その時の想いに浸る、深い意味があったのだと思います。
満足そうな母の表情を見ていると、これが幸せなんだなと感じます。
その足で京都烏丸へ向かい、妹家族と会食を共にしました。
まさに今を大切に、家族全員がそう感じています。