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2016・9・15 ダイジェスト版 レクリエーション介護士の日記念イベント
基調講演「レクリエーションの未来」 ~私は何をしたらいいのか~
ほとんどが定年退職をされた方々の参加です。
今まで頑張って働いて、今この時を満喫しに来られています。
昼の談笑からカクテルを飲みながら話を弾ませます。
夜は毎夜テーマに合わせてドレスアップし登場されます。
なんというか、日本経済の底力を実感する空間です。
多くがペアで参加されています。
朝、昼、夜なく、それぞれのラウンジでは、ペア同士が談笑されています。
きっと、ここでお出合いになられた方々でしょう。
”袖振り合うも多生の縁”話は尽きないようです。
母や一緒に参加した知人のお二人も、ところどこで、その時の仲間を見つけます。
自分に自信があると、あらゆる人と交われるのだと思うのです。
もちろん、車椅子の方も杖の方も、皆さん堂々とされています。
虚弱、要支援、要介護と、どんなレベルであれ必要なことがあります。
それは、それぞれの自信に見合った、それぞれの興味・関心が必ず存在していることに気づくことです。
介護サービスに思わず動きたくなる要素がプログラムされている。
このために私は元気でいたい、だから頑張るんだ!を喚起させてくれる仕組みです。
今回のクルージング商品一つとっても、微に入り細に入り、喜びや満足ポイントが織り込まれています。
なるほどな、確かに買いたくなる設計が考え抜かれています。
ディナーでは、対面アンケートに協力させていただきました。
いわゆる市場調査であり、一次情報として、もっとも価値の高い情報です。
毎回インタビューをして、声を聞き、次回に生かすそうです。
とことん、喜びを作るマーケティング視点です。
介護業界はどうでしょうか?
介護というサービスを提供することは、当たり前のことです。
元気になるとはどういうことなのか?
リハビリとは何のためにするのか?
長生きの先には何があるのか?
私にとっては、”人のよろこび”を科学的に捉え体感する実体験の時間でもありました。
母もいつも以上に、笑って・楽しんでいます。
毎夜のディナーではテーマに合わせ、持参したドレスから選びます。
荷物を詰める時から、私がイメージしていた通りです。
「今夜はどれを着る?」
「ちなみに、これと、これを持ってきたよ」
選べる楽しさ、アクセサリーのラインナップも準備しました。
荷物が多かったはずです。
直前まで仕事に追われていた私は、荷物を準備し事前に送る時間の余裕がなかったのです。
大きな荷物3つと母を連れて、船まで辿り着くまでの大変さが、この瞬間に吹き飛びました。
最初はシャンパン、次に白ワイン。
左手でフォークやスプーンを使って食べます。
次々に運ばれる料理に、知人を含めた4人の談笑はつきません。
夕食が終われば、ナイトショーを見に行きます。
寄港先の函館では、タクシーで展望台へ。
芸能界でも有名な地元のラーメン店へ。
秋田では、国立美術館へ。
そして、また賑やかな夜がやってきます。
母には、宣言された余命の中で、大切な家族と、1回でも多く旅行がしたい。
美味しいものを食べて過ごしたいという強い思いがありました。
これを叶えてあげたい、私たち娘の気持ちです。
そのため、本来なら来年4月に取っていた予約を、急遽11月に変更したのです。
もちろん、来年行けたら更に良しです。
しかし、歳を取ると来年はあくまでも”おまけ”です。
思い立ったら、今が一番ベストなタイミングです。
この”時”の流れの体感スピードが、高齢者と若者では全く異なります。
そう、どんなに頭では分かっていても、人生に先がある子供の立場では実感しきれないのです。
”来年は行こうね”と思ったり、本来衰えている親の体力以上の盛りだくさんの旅行計画を立てがちです。
親元を離れて経年し、元気なイメージのまま捉えているとなおさらです。
無理もありません。
当事者である高齢者が、本当に分かってほしい点はこの点だと思います。
体力や調子の衰えは、見かけではわからない微妙な変化です。
そこが、本人しかわからない葛藤です。
寝床が変わっただけで、夜の寝つきが悪くなる方もいます。
楽しさを求めて旅に出ても、この苦労は別ものです。
ここもメンテナンスポイントです。
そういえば、母も”Myまくら”を持参しました。
これがサインです。
「持って行きたい」と言われたら、「そうなのね」で受け止めてあげたいものです。
自ら対策を提示してくれるので、ありがたいことです。
いよいよ日本一周旅行の船旅が始まりました。
東京の港から出発で、夕方大きな荷物を持って乗り込みました。
広い船内は、どこまでも続くアーケードが目に止まりました。
天井を見上げると、時間によって映像が移り変わります。
アーケード下は煌びやかで、時計やジュエリーなどのブランドショップが並びます。
中央には、ガラスの螺旋階段が左右に位置し、写真スポットになっています。
船内は、20箇所ほどのバーやラウンジがあり、アルコール・ソフトドリンクが飲み放題。
ジム、プールやジャグジー、エンターテイメントなどが揃っています。
毎晩メインレストランでは、、コース料理が準備されています。
コースに飽きた人は、ビュッフェで好きな物が食べられます。
朝食、昼食もビッフェ、日本食も準備され、好みに合わせてチョイスが可能です。
要するに、早朝から夜まで、食べたい時に食べられるのです。
乗客数約3600人、乗務員数役1500人、合計約6000人ほど。
まるで大きな街が移動しているようです。
寄港する日は、1日現地を楽しみます。
船で過ごす日は、さまざまなイベント、ジム、プールなど選択が可能です。
毎夜異なるエンターテイメント、あらゆる催しやショーが準備されています。
ミュージカル、ダンス、ソングと、普段では触れない非日常が広がります。
バルコニー付きのお部屋は、約17m2、バルコニー4m2で2ベット。
ちょうど高齢者住宅の一人部屋ほどです。
外国船のため、ベットも便座も少し高いところが気になりました。
母などは、背が小さいので、よいしょって感じです。
窓の向こうには、広大な海が広がります。
夜空を見上げ、海風にあたるこの体験は特別です。
船の動きと同化して、時の流れで動いている感覚です。
夜風に触れながら、頭に浮かんだのは・・・・
「パパがいなくなり、ママとの時間が今なんだよな」
毎年母と海外旅行に行ってた時には、感じることのなかったしみじみさです。
時が永遠でないことを改めて実感します。
これは、エンターテイメント満載の非日常に身をおくことで、そのコントラストがより明確に感じるのです。
今、この時を止めることはできない、だからこそ、今を体験するのです。
5日後のクルージング旅行を楽しみにしていた母が消極的になっていきます。
クルージング旅行の楽しみといえば、食事やパーティですが、人前でご飯を食べる姿を見せたくないと感じています。
2ヶ月前、メラノーマの進行が早いことが発覚し、旅行の計画を早めた時は、何不自由なく動け、食欲旺盛だったわけです。
もう少しという直前に、右手指の麻痺が出現、日に日に症状が悪化し、物を掴んでいる感覚がなくなっています。
お箸を5回も6回も落とします。
腕まで痺れがきているようです。
今まさに、現実的な対応策が必要だと感じました。
京都にある障害者用のお箸を開発し、取り扱っているお店の情報をキャッチしました。
普段は見過ごす情報も、自分ゴトとなると目に止まるものです。
そして藁をも掴む思いでお店に電話しました。
話を聞くと、症状に合わせてアドバイスしてくださることがわかり、即、母を連れていきたいと思いました。
しかし翌日土曜日は予定があり日曜日、祝日(月)と定休日が続き、火曜日は旅行の出発日です。
その事情を店主に相談すると、祝日午前中にお店を開けて下さる提案をくださいました。
どれだけありがたかったことか・・・
症状に合わせた数種類の箸を試しました。
日常使いの箸、菜箸と購入しました。
母もこれなら使えるかもと一安心の表情を浮かべていました。
しかし結局、右手を使うことにはかなりの困難があります。
腕そのものを意識して動かせば、大きな動きはできます。
しかし、動いても指令が届いていないようで思うように動作しません。
手指なら尚更です。
自分の手とは思えない、掴んでいるつもりが掴めないとのことです。
握力はあるが、指先には指令がいかないようです。
そのため、つるん、つるんとお箸やスプーンが抜けてしまいます。
そこで購入した箸を、左手で使うようにしました。
お箸が使えるだけでもありがたいことです。
今までのように、動いているようで動いていない腕と指です。
しっかりと手を見て、動かすことへ集中しないと動いてくれません。
”手を開く” ”掴む”の指示出すと、何とか、何とか動くが、的も外れます。
せいの、よいしょ、どっこいしょ、私の掛け声で何度もチャレンジします。
半分泣き笑い、情けないし、こっけいだし、そんな母によいしょと声かけしている私との二人三脚です。
母
「パパが見てたら、そうやろ〜って言うやろな」
私
「なんて?」
母
「パパがなった者にしか分からんと、そうせかすなと」
私
「そう」
母
「今やから分かる」
「できない自分が情けない」
私
「でもパパは、自分の姿を惨めだとか情けないと定義してなかったよ」
「これも自分やと」
「受け入れて堂々としてた」
「だから、自分が自分らしくあるために、人に頼ることも厭わなかったよ」
母
「うん、そうやね」
私
「パパなら言うよ、それも受け入れてママらしくと」
母
「ほんまやね、捉え方やね」
10月28日は、治療薬キイトルーダへ変更して3回目の注射日。
血液検査も順調と先生。
しかし、1週間ほど前から、母に気になる症状が出てきました。
それは、右手の指先の感覚が鈍って、掴んだ物が落ちるのです。
先生いわく、両腕なら薬の副作用も考えられますが、非対称の症状なので考えにくいとのことです。
脳神経外科の受診もできますが、どうしますかと聞かれ、母がもう少し様子をみるとのことでした。
日に日に動きが悪くなってきました。
お箸やスプーンが握れず、ストン、ストンと落ちてしまいます。
診察時は1~2回だった現象が、5日経過した今で5~6回です。
握っているつもりでも、コップに手が届いていません。
コップの手前で手を動かしていますが、後10㎝向こうにコップの取っ手があります。
そう、今までの感覚で指を伸ばしているつもりですが、指は曲がったままです。
「指が開いてないよ」
「え?」
開いてるつもりなのにと本人
そして意識すると開くのです。
「ボタンが留められない、20分かかったの」
「右手の自分の指が邪魔してたの、左手で触って気づいた」
「あれ、もう1本お箸がないわ」
右手で持っていたのですが、握っていることに気づかないのです。
「プールで泳いだら分かった、右腕の前腕からしびれてる」
「クロールすると、右腕が少し遅れている」
治療薬の影響か、疾患の影響か、症状というオマケがやってきました。
どちらにしろ、優先順位は治療であり、疾患なら今の現実が丸ごと母親だということです。
症状が出た際に、人はいろいろな反応を示します。
「どうしたのと声をかける人」
「気の毒がって励ましてくれる人」
「気づかない振りでそっとしておく人」などなど
私はというと、
「あれ、まただね」と笑って受け止めました。
母も私に釣られ、情けなさの向こうにある、笑うしかないよねに反応。
「そうなの」と笑って緊張が解けてきます。
深刻に考えても、状況は変わりません。
それなら、今の母でいい、症状は冗談やなぞなぞのような存在。
避けるわけでもなく、さりとて卑下するわけでもなく、母の一部。
「昔は白魚のようなきれいな手で、皆に褒められたのに」
「先生も思わず綺麗だと握ってきたのに、こんなに曲がっちゃって」
「へ~昔良い思いをしたんだ」
「だったら人生帳尻が合って、プラス、マイナスゼロになるもんよ」
「十分恩恵を被った訳だからね」
それを聞いてまた母が笑います。
そう、今が一番良いのです。
「いい、お箸を持つ前に意識して手を開ける、そして握る」
そしたら握れるでしょう。
「大きな野菜は私が切ったり、カットするからね」
「大きなものは移動させるからね」
急がず、私がくる夜を待ってね。
「水泳は行って泳いできてね」
神経への伝達をたやさないようにね。
今の母にしてあげることは何か?
私はご飯を食べるのが、超絶早いのです。
一方、母はお箸が使えず、今までの倍の時間を要します。
それを見て私のとった行動はというと、左手で箸を使ってみたのです。
何とも不便で、母のイライラや苦労が分かります。
母が
「あんた、何してんの?」
「いや、難しいな」
「何があってもいいように、練習しとこと思って」
母が、笑いながら
「難しいやろ」
「うん、全然できないわ」
そして、同じくらいのペースで夕飯を終えるのです。