保健師学校の同窓会

卒業後第3回目の同窓会が開催されました。
幹事さんにお礼を申し上げます。

皆さんは前回の同窓会の話をされるけれど何故かピンとこない私。
おそらく第2回目は欠席し、あの頃はニュージーランドの空の下だったように思います。

懐かしい方々との再会です。
しかし顔と名前が一致せず、時の経過を感じてしまいました。

地元9割、県外1割といった感じでしょうか。
ご主人の転勤という理由以外は、地元にいながら保健師業に携わっている方がほとんどでした。
別の同窓会と違って、圧倒的に就業率が高いのが印象的でした。

市町村役場の職員として勤務されているほとんどの方は、色々な部署を経験し逞しい保健師になられていました。
これぞ我が地域の保険師さんといった感じです。

地域包括支援センター、介護保険担当、母子担当、高齢者担当、障害者担当、地方の勤務の方はそれを総合的に提供しているそうです。

母子担当者の自己紹介では、幼児期の子育と虐待の関連性について話をされたので、子育て中の皆様もビク!とされていたような・・・・(^^)。日々高齢者の虐待を問題視している私は共感!

企業の保健師(産業保健師)も勢いがついていました。
大企業の健康管理部門が多く、メタボリック健診に始まりメンタルヘルスケアに至るまで、今の日本を支える最前線の勤労者の強い見方です。

うつ病の話題では、成果主義に翻弄されながらも、おかれた状況下で自分がどう解釈し受け止めるか、要するに成長の歩みからくる性格形成の影響なども出ていました。

会話に参加しつつ、母子、成人、そして私が関わる高齢者フィールド、当たり前ですが全部つながっている事を改めて実感します。
今だからこそ一本の線で表現できます。

私自身、産業保健師でいたころは、高齢者や介護の知識はあっても、その現場に身をおき感じる実の部分までは表現できませんでした。

今は、日々の現場の中で、食事、入浴、排泄、アクテイビテイなど生活をベースとしたあらゆる事柄、単に提供するのではなく、何故それを提供していくのかの根源を振り返り職員に伝えていく毎日です。

誰にもある認知症になる確率、誰にもある寝たきりになる確率。
自分だけはと思ってみたり、実感が湧かないから遠い先の事であるように捉えている人が多いようです。

本当は、これから各々が身を置く事になる介護期に今からできる準備が沢山あります。
身近な方の介護、自身の介護、もしかしたら生涯健康も今からの準備しだい。
成果主義社会において勝ち組であった方がかならずしも成功者とは言えない世界です。

医学的、統計的な話に加え、将来を実況中継するがごとく伝えていけたら、40代、50代の方々の行動変容にも役立つのではと考えております。

例えばメタボリック健診の真の意義は?

現役世代の方々に、必ず行く道”老い”の世界を一時でも考える機会が提供できたら、その後の準備は本人しだいです。
物事の捉え方や価値観、現在の自分を振りかってもらう良い機会になるかもしれません。

こう捉えてみませんか?
皆様にとっては、”老いることは楽しむこと”にできる積み立て期間中です。

だから今何をする?
だから今どう考える?

企業保健師であった私が伝えるべき事に気づかされた同窓会でした。

「成年後見制度」セミナー実施

大阪市内にある有料老人ホームの主催にてセミナーを開催いたしました。

タイトル 
なぜ必要?「成年後見制度」とは何か?

大老連を見て直接電話で申込みをされる方や紹介センターの案内を見て早くに申し込まれている方々など様々でした。
最初に予想していた通り、すでに勉強されていらっしゃる方や自分の老後を考え真剣に学びたいと集まってこられた方が多く、1時間半の長時間にも関わらず、その後の質問も30分以上続きました。

さらに個別にテーブルで質問を受けると千差万別。
何を不安に思っていらっしゃるのか、何が理解できていないのか、何にひっかかっているのかが良く分かりました。

今回の私のテーマは話を聞きながら頭の中でイメージが組み立てていけるような内容を提供することでした。
参加者の中、すでに他でセミナーを受けられたことのある数名から「今回は分かり易かったわ、来て本当に良かった」の声を頂きました。
セミナー参加者に持って帰ってもらいたい内容を定め、それに向けた構成をする必要性を実感いたしました。

他にも2名の方からお礼の電話が入ったそうです。
セミナーとセミナー前後のスタッフの方々の心のこもった丁寧な対応、最初から最後まで満足されたとのお言葉でした。
「良い」と感じて頂いた事にお礼の電話をして下さるその姿勢に、逆に礼儀を学ばせて頂いた次第です。


Photo
Photo_2

精神看護研究会にて発表

Photo_2

精神看護研究会の参加メンバーとは、精神関連の病院でご勤務されている管理者や看護師の方々、さらに研究を深めていらっしゃる大学院生や大学教授の方々であるとお聞きしておりました。

表題「介護と医療と生活の輪」

タイトルだけは以前に使用したものを採用しつつ、内容については、現在、福祉をフィールドに活動している私が伝える事ができるメッセージを、考え絞り込んでお話させて頂きました。

人を看る(看護・介護)ということ、人と向きあうということの究極の意味とは。
これはどちらにも共通している課題。
違いは医療現場と福祉現場だと思います。

日常の激務の中、やってはいけないと思ってはいても・・・・・・
もっと向き合ってあげたいと思ってはいても・・・・・・
発表後の質問タイムに現場の看護師の方々から頂いたお気持ちです。
現場状況は容易に想像できるだけに、痛いほどそのジレンマが理解できます。

だからこそ、あえてお伝えしたい事です。
治療をしているその前にいるのは人であるということを。
看護をしているその前にいるのは人であるということを。
介護をしているその前にいるのは人であるということを。

これは私自身に問い続けようと思っております。
「仕方がない」という言葉は、解決できるかもしれない万分の1の望み、一筋の光を閉ざしてしまうこと。
事実がすぐに動かなくても、考え続ける事を諦めてはいけない。
患者、入居者、利用者の方は、私達に向き合う一瞬、一瞬、毎回この人を信じてみようと向き合ってくれているのだと。

その一瞬を裏切ってしまう自分がいたら・・・
そんな時「仕方ない」の隠れ蓑は使わず、とことん自己嫌悪に落ち込んでみようと思います。
落ち込んで、考えて、また同じ場面で同じ事しか出来なかったら、また自分に問い直す。
先の先の先にそれが活かされたら今までの「ごめんなさい」に感謝する。

進んでいないように見えても、諦めずに考え続ける力は、自分らしくある最大の武器だと思います。

原点は「私はどうしたいの?」だと思うのです。

ミュージカル”グレイッシュとモモ”を観て

Photo_2

子供から大人まで楽しめるミュージカルと聞きながら観させて頂きました。

心を閉ざした少女モモがモモにしかできない大活躍を通して周りの危機を救ってくれます。
言葉がつまりゆっくりしかしゃべれないモモ、それでも伝えたい事は沢山あります。
世の中、自分に合わそうとする人ではなく、相手に添ってみようとする人が増えたら素晴らしい世界が見える期待感を感じました。

時間泥棒とモモは戦います。
24時間の時間を生産性に関わる以外は全て無駄と位置づけ活動に駆り立てる人間の心の隙間に生まれた時間泥棒グレイッシュ。
生産性のみを目的に生きてその先に生まれるものは?誰のために、何のために、何を残すために活動しているの?
本来時間を使いながら、よろこび、悲しみ、トキメキなどの”思い出”という心に貯金をすることができるのが人間。
それが許されず、生きている目的が無いことに気がつき、生きていくのに疲れてしまう灰色の世の中にしたくないとモモは決心し、勇気を持って自分を奮い立たせます。

鑑賞していた子供はどのように感じていたでしょうか。
私から見ると、笑う場面はもちろんのこと物語を理解しようとお母さんに質問しながら一生懸命何かを感じようとしながら、新しい世界を覗いたような2時間だったのではと思いました。

私も含め大人にとっては、昨日までの自分の生き方を振り返り、大切な何かを忘れていないかのおさらいの時間だったように思います。
また世の中の人がこんな風にお互いの個性を認め合えたら、自分には無い他の人の良いところを見つけ感激できるのにと感じたような次第です。

パンフレットの裏に書かれてありました。
「人間はね。それぞれが。その人なりの色を持っている。己の心に正直に生きてゆけば、必ず、その色は輝くんだ。」

これからも、関わらせていただく全ての方々の色を見つけていきたいと思います。

あ!今日も来てくれたんだ

先週、老人ホーム近隣の小学生が社会学習ということで総勢35名で訪問に来られました。
施設の説明を聞いた後に全体の見学、その後は各階に分かれて入居者の方と接してもらい約半日の課外学習でした。

入居者の中にはお子さんが来られると聞いただけで、うれしそうに涙し同時に何かあげなきゃとソワソワ。
おりこうさんの子供には褒めてあげたい、何かあげたい・・・この反応は家族内だとごく自然なおじいちゃん、おばあちゃんの役割だからです。

対応していた職員も一生懸命ホーム生活を伝えようと場を取り持ってくれていました。
大人を相手にするのと違い、分かり易く、興味を持ってもらうためのにはいつもと違う労力が必要です。

入居者のよろこびや職員のまなざしのやさしいさの結果かしら・・・・

次の日に前日見学に来ていた小学生の二人がお友達を連れ3人で遊びに来てくれました。
エレベーターに乗ると「このエレベーターはベットも入るんだよ」と友達に自慢してくれています。
”私が見つけた施設”という感じでしょうか(^^)
入居者とのゲームでも「次どうぞ」と、戸惑いながらも積極的に声かけをしてくれていました。
夕食前に終了し自転車に乗ってさっそうと帰っていきました。

そしてさらに次の日!
「こんにちは」と昨日の笑顔。
今度は手作りのフラワーペーパー一輪のおみやげ付きです。

子供の正直な反応を見ると、そのホームの居心地感が見えてきます。
日頃忙しい業務の中にも「大切なものが何か」に気がついている職員は、入居されている方や来客者にも心地よい存在でいてくれています。
そして日頃から心地よい介護を受けている入居者の表情は穏やかであり、小さなお客様にそれが伝わるのでしょう。

そのうちミニボランティアさんになっているかもしれませんね。

 

「ダイバージョナルセラピーワーカー養成講座」を受講して(10月)

オーストラリア福祉の視点
「老いるとは楽しむこと、耐えることではない」  ~Aged Care 省:ブロンウイン・ビショップ大臣~
この言葉と出会った2年前が、ダイバージョナルセラピー協会との縁の始まりです。

現在養成研修に参加しさらに自分の考えを整理しております。

ダイバージョナルセラピーとは、人間の本来持っている生きる力に焦点を当てた関わりです。
介護とは、食事、排泄、入浴などの出来ない部分を補うだけでなく、人間が生きる目的であるハッピーも提供することで、そのためにはレジャー活動が必須であるということです。

「世界レジャー憲章」
すべての人類は、レジャー活動をする基本的人権を持つ。
レジャーを供与することは、健康、教育の為だけでなく、生活の質を向上させるためにも重要である。

自分に置き換えて考えてみました。
通常私達には、「次はこれをしたい」「あそこに行ってみたい」という思いで日常生活を楽しみ、自分で自分の必要性を感じる能動的活動を行っています。

ここで大切な事は、自分らしさを表現できる時間、空間、内容は人それぞれであり、広義で解釈すると、人によっては人生のある期間は仕事もレジャーの一部になるのかもしれません。

要するに心を動かす材料だと思います。
心地よさ、愛する対象がある、信じるものがある、主体的に行動する、できることや楽しみがある事は、生きていて良かったと実感できる瞬間であり、もっとQOL(生活の質)を高めたいという欲求が強くなるのだと思います。
自然と明日に生きる楽しみを見出して生活しています。

しかし長い人生の過程の中、自身でレジャーを演出する時間には限りがあります。

自立に近い方の場合、自分がやりたい事が表現できたり、日々提供されるアクティビテイの中から自身で選択したりと意思を表現したり、行動を取る事が可能です。

一方、認知症の方や障害を持った方については、選択する意思を表現する事が難しくなっていたり、やりたくても体が動かなかったり、自分自身何が好きだったのかさえ思い出したり言葉に出せなくなってきます。

しかし楽しみたい!という思いは同じはずです。
楽しむとは自分がやりたい事ができた時です。
感性にあった物(事)を享受できた時だと思います。

私達はこの方々が何をやりたいのかは、聞いてみないと分からないし、情報収集して分析しないと答えがでません。
時に提供してみながら、表情や反応から「心の声」を聞いてみるのも1つです。

楽しいと感じてもらうには、その方のテンポや世界に合わさなければ、レクリエーションを提供した側の自己満足に終わってしまうからです。言い換えるとその人にとって意味のない言葉かけやレクリエーションは退屈へとつながってしまいます。

まずは、耳を傾けてみる、両目で見てみる、そして動いてみる事が始まりです。
個人を知る為の情報収集をベースに、アセスメントをして、ターゲットを絞り、ターゲットに合わせた計画を立て、目的意識を持って関わり、何の為にやったのか、最後には何に影響を与える事ができたのか。

レクリエーションに意味を持たせてみよう、これがレジャーの第一歩だと思います。

Photo_3